スリランカ日記(6)~古都キャンディの連想

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 古都キャンディは、スリランカの京都である。

 2000メートル級の山岳を含むスリランカ中央高地の盆地の中に位置し、街の中心にキャンディ湖を抱え、四方は緑豊かな山々に囲まれた絶好の避暑地である。また、セイロンティーの産地としても知られている。15世紀にシンハラ王朝最後の都がこの地に置かれた。

31666_2ホテルの客室から眺める、キャンディの街を流れる母なる河・マハウェリ川

 「キャンディが都だったとき、スリランカは良かった。コロンボに遷都してからは、すべておかしくなった」

 運転手のピアンテさんが寂しそうに語った。内戦や貧困、近年のスリランカは多難である。

 目の前に広がるキャンディの街並みは、あまりにも平和で美しい。もしや、風水か。「住めば都」とはいうが、やはり「都」は簡単に動かすものではないようだ。といっても、実は、今のスリランカの首都は、コロンボではなくなった。1985年にかつての首都でスリランカ最大都市コロンボの東方に、新首都スリジャヤワルダナプラコッテが建設され、遷都となった。

31666_3キャンディ湖をバックに

 ころころと遷都があったのは、政治に翻弄される国の不運であろう。中国にも、「改朝換代」という言葉がある。時代が変われば、新君主はモニュメントたる箱モノを作り、自分の存在を誇示する。現代になると、特に議会制民主主義国家ともなれば、箱モノには国家予算が絡み、勝手なことはできなくなった。すると、法制度や国家運営のスタイルといったソフト部分に着目する。

 民主党が野党時代に描いたビジョンは、理想郷に過ぎない。理想郷なら、票を集めることができる。いざ政権を手に入れると、理想郷の実現が出来ないことに気付く。元々気付いていたのかもしれませんが(だとすれば確信犯だ)。気付いても気付かない振りをしなければならない。で、理想郷というのは、蜃気楼である。いまの民主党は、まさにその蜃気楼に向けて、金を民間にばら撒こうとしている。なぜばら撒くかといえば、夏の参院選で票を集めなければならないからである。そもそも、菅氏の国家戦略室は、蜃気楼作りの総本部だとすれば、小沢氏は徹頭徹尾の選挙プロである。選挙までは、蜃気楼が消えてはならないのだ。国債をどんどん発行し、借金をどんどん膨らませて次世代に回す。自民党が腐った肉であれば、民主党は腐りかかる魚なのだというのが私の持論だ。

 国家の明日を見つめる政治は、あるのか?日本にも、ここスリランカにもないようだ。国民は常に政治に翻弄されている。

31666_4高台からキャンディの街並みを俯瞰する

 キャンディの街を離れる前、高台に登り、この平和な街をしばらく見つめた。古都は平和そうに見えても、決して微笑んではいない。

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