日本はなぜ変わらないのか?

 日本と中国という二つの国を眺めていると、どっちが資本主義かどっちが社会主義か、よく分からなくなってしまう。というよりも、日本国民はそもそも社会主義を望んでいるのではないかと最近、実感するようになった。

 6月10日付の朝日新聞が発表した民意調査の結果は、私にとって、ショッキングな結果だった。

 「これからの日本は、どちらを目指すべきだと思うか」という質問には、「豊かだが格差が大きい国 17」と「豊かさはそれほどないが格差が小さい国 73」と、回答が分かれている。質問の聞き方にまず問題がある。二つ重要な前提が抜けている――。一つ、「機会均等、ルール公平の前提」、もう一つ、「格差で生まれる貧困層に国が十分な安全網を設ける前提」。もし、この二つの前提が設けられたにもかかわらず、格差排除の回答が大多数であれば、むしろ、社会主義的な制度設計を好む民意として見るべきだろう。

 さらに、これからの日本が目指すべき方向として、「税負担が重いが、社会保障などの行政サービスが手厚い『大きな政府』」を望む回答は58、逆に、「税負担は軽いが行政にはあまり頼れず、自己責任が求められる『小さな政府』」を望む回答はわずか26。

 日本国民は、政治家を非難し、政治の責任を問い、次から次へ政権やトップを交代させながら、結果的に「官頼み」のお上意識は何も変わっていない。お上は悪いけれど、それでも頼りたい。期待から失望に、もう一回期待してはまた失望、やがて失望から絶望のどん底に転落する。日本の自殺率が先進諸国の中でもトップクラスだ。これも、日本国民の平均的草食根性に起因していると思う。

 菅新首相はまたもや歓声の中で、絶大な人気を得て表舞台に上がった。

 そこで、拍手しているあなたよ、昨年8月の鳩山・民主党新政権に同じ拍手を送ったことを忘れたのだろうか。日本国民は懲りない。何回も何回も政治にやられてしまう。

 日本の政治は、単純明快だ。「民意を問う」、そして「民意に迎合する」、これは当選し、政権を握る唯一の道である。政治家には都合の良い台詞だ。

 「日本という国を良くする政策は、必ずしも民意に合致していない」。私は声を大きくしたい。

 痛みを伴う治療を拒否する大多数の日本国民を前に、いくら腕の良い医者でも医師免許を与えられない。がんを直すために、放射線治療を行う。大きな痛みを伴うし、髪の毛も抜けて醜くなる。それが嫌で嫌で、ただひたすら痛み止めを打ち続けても、がんを取り除くことはできないし、いよいよ末期を迎える。いまの日本はそのような様相を呈している。

 「民意を問う」。民意は常に正しいのだろうか。もし、その回答がネガティブであれば、それは間違いなく民主主義の落とし穴である・・・

 「自民党は、腐った肉である。民主党は、正体不明な魚」。昨年、民主党が政権を奪取したときに、私は言った。とうとう、鳩山さんの正体が判明されたようだが、今度、菅さんはどうだろうか。

 どんな魚でも、肉でも、腐るものだ。問題は、魚でもなければ、肉でもない。問題は、温度、保管状態だ。いまは、どうやら、保管状態は良いとは思えない。この保管状態だと、菅さんという魚は、いずれ腐るだろう。時間の問題だ。参院選を乗り越えられても、1年もつかどうか、かなり心配だ。

 あっ、余計な心配か。1年に1人の総理、総理大臣はみんなでやってみよう。こればっかりは、民主党も自民党も一緒だ。じゃ、民主党と自民党はどこが違うの?党名が違うだけだ。私から見れば、民主党は自民党よりも自民党だ。

 腐る肉にするか、それとも腐る魚?日本の選挙では究極の選択を迫られる。

 「日本を変える」――。選挙のキャッチフレーズにもっとも多用されるセリフだ。ではふたを開けてみると、日本は一度も変わっていない。それはなぜ?それは、「変化」を求める日本国民の多くは、自分自身を「変化」の対象から除外したからである。

 そして、企業の経営も同じ。「変化」する世界に、「変化」で対応するのが、「不変」の法則だ。現状維持はありえない。現状維持の先は、破滅である。