クズも日本も諦めてない、さあどうすればいいのか?

 私の記事をシェアしたある方のコメントを紹介する(主旨要約)――。

 「私は、まだ日本を諦めてはいませんが、マスコミに煽られ、洗脳されて思考停止した人たちの多さ、増加の速さには驚いています。そんな人たちを決してクズとは思っていませんが、衰退の原因になっていることは間違いないと思います。中国の属国化などもってのほか。日本の衰退は避けたいので、既得権益層の強固なシステムの存在それ自体に強い怒りを感じます」

 私のコメント――。

 現状の認識、課題の抽出、個人の感情、いずれも明確でわかりやすい。ただ、肝心な「続き」、「どうすればいいのか」という出口の言明がない。

 「中国の属国化はもってのほか」、これは「べからず論」。「日本の衰退を避けたい」、これは「べき論」。このような「べき論」「べからず論」は、ほとんどの日本人が持っているし、「公知の正論」である。これに対して、問題を取り上げ、当事者に「怒りを感じる」と感情や意志を表明するにとどまり、続きがないのだ。

 「厳重に抗議するとともに、遺憾の意を表明する」といった外交辞令は良くも悪くも、一応の国家メッセージではあるが、SNS上の個人コメントとしては、そこまでの効果がなくとも、せいぜい「負け犬の遠吠え」を超え、周りの人々に何らかの解決策(ソリューション)を提示してほしいと私は思う(贅沢な期待かもしれないが)。

 そこで、このテーマに限って言えば、私は、「クズを諦め、国を諦め、個人的自己救済に取り組もう」と提言してきた。

 これに対して、この方は「衰退の原因になっている人たちをクズと思っていない」、さらに「まだ日本を諦めていない」としているだけに、「クズをまともに改め、日本を救う」ことが可能だという期待を持たせてくれた。そこで、興味深く、さあこうすればいいのだという「アクション」(ソリューション)の提示を待っていたわけだ。

 最後に触れておくが、「まだ日本を諦めていない」という「まだ」がいつまで続くか、気になる。「諦めらない」ことは3種類ある――。① 上述のように打開(挽回)策があっての「能動型」、② 逃げ道がなく神頼みという「受動型」、③ 受動型だが見せかけの「似非能動型」

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