哲人王なき時代に――プラトン、トランプ、そして私の統治観

 プラトンが『国家』や『法律』で展開した民主主義批判は、本質的に次の二点に集約される。

1. 知の欠如と数の暴力という矛盾

 第一に、「知を持たぬ者が、数の力で支配する」という矛盾である。「船において、舵を取るのに必要なのは、多数決ではなく、航海術である」(『国家』)。政治も同様であり、「知の技術」(epistēmē)を持たぬ者が意思決定を行うことは、暴走と混乱の温床となる。数の優位は、知の優位に直結しないという、根源的な問いかけである。

2. 自由の混沌から専制へ至る構造

 第二に、プラトンは民主主義の内部に、専制への転落メカニズムが内在していることを指摘した。「民主政の極点は、専制政治への転落である」(『国家』第8巻)この視座は、オルテガによって現代化され、「超民主主義の暴走」という警告に姿を変える。

 プラトンの言葉はさらに明快である。

 「自由が行き過ぎると、かえって奴隷状態に陥る」
 「あらゆる人間が好き勝手に振る舞うようになると、そこにはもはや秩序がなくなる」
 「そうした無秩序の中で、人々は“強い指導者”を求めるようになり、やがて独裁が現れる」

 つまり、民主政とは表面的には自由と平等の理想であるが、構造的には専制への扉を開く脆弱な政体にほかならない。プラトンはこのような民主政を「多頭政治(polyarchia)」と呼び、欲望が制御されず、規律が失われた“欲望の市場”として描写した。

3. SNS民主主義と現代的ティラノス

 プラトンの描いた民主政の姿は、現代の大衆民主主義――とりわけSNS民主主義、ポピュリズム、メディア政治に極めて近い。人々は理念や知によってではなく、短期的な快、不満の解消、反権威的衝動によって投票し、選択する。

 説得より演技
 実力より人気
 構造より共感

 このような空間では、“通る”言葉が支配し、“正しい”言葉は沈黙させられる。そしてプラトンの見立てによれば、民主政に飽きた大衆は、やがて秩序を求めるようになり、そこで登場するのが僭主(ティラノス)である。

4. トランプ現象は「ティラノスの出現」であるか?

 トランプはまさにその文脈に位置づけられる。だが、問題は彼が“僭主であるかどうか”ではない。それよりも、なぜ、あのような存在が登場したのか?何を背景に、あそこまで熱狂的支持が生まれたのか?という「構造そのもの」への問いこそが重要である。

 プラトンは、この構造を政体の循環的劣化として捉えていた。

 無制限な自由は、必ず制御への欲望を生む。
 大衆の自由放任が、強者への従属を招く。

 まさにこれは、大衆が理想を見失い、快と混乱に疲れ、力と単純さに救済を求めるプロセスである。現代で言えば、強権的ポピュリストリーダーや、統治装置と化した官僚制的国家権力がその典型である。

5. 哲人王の不在と、実務思想家としての私

 ただし、残念ながらトランプは「哲人王」ではない。統治における理念の不在、知の軽視、対立の煽動と自己の肥大――これらは、プラトンの哲人王像と真逆にある。

 私はその光景を眺めながら、国家や社会のレベルではなく、最小単位である「組織」において、哲人王的な統治を試みている。格好よく言えば、現代版実務思想家として、現実に根を張りながら、一歩ずつ戦い、前進している。その意味で、私の営みはまさに、プラトン的国家の「地上化プロジェクト」である。

 泥をかき分け、構造を読み、制度を設計しながら、思想を現実に植えつける作業を、私は今日も続けている。

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