<雑論>ヒトラーの言葉と政治的「符号化」 / ロシアのG7復帰? / 日産解体と戦艦大和解体 / 栄枯盛衰の周期

● ヒトラーの言葉と政治的「符号化」

 「人々が思考しないのは、政府にとっては幸いだ」——ヒトラーのこの言葉は、政治の本質を鋭く突いている。統治者にとって、思考しない大衆は扱いやすい。疑問を持たず、与えられた情報を無批判に受け入れる人々は、権力の維持にとって都合がよい。

 この構造は現代においても変わらない。特に、政治的な「符号化」によって、人々の思考が単純化される傾向が顕著である。

 「ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)」は、しばしば左派の言論統制とされる。しかし、実際には右派においても同様の符号化が行われている。「親米反中」「靖国参拝」「安倍高市」など、特定のワードが政治的立場の象徴として機能し、それに共鳴する人々が集まる。これらの言葉は、単なる政策や思想の枠を超え、「シンボル」としての役割を果たしている。

 思考力のない者は、このような符号に飛びつく。彼らにとって、重要なのは「何を考えるか」ではなく、「どちらの陣営に属するか」である。符号の下で集結し、同調圧力と共鳴によって自己の正当性を確認する。このプロセスは、一種のガス抜きであり、承認欲求を満たす手段でもある。

 このように考えれば、左右の違いは表面的なものであり、本質的には同じ構造を持つ。左派が「差別反対」「多様性」「ジェンダー平等」といったスローガンを振りかざし、異論を封じるのと、右派が「愛国」「反グローバリズム」「伝統の復活」といった符号で結束するのは、根底では同じ現象である。

 彼らはそれぞれ、自らの価値観を「絶対的な正義」とみなし、異なる意見を持つ者を攻撃する。この構造こそが、社会の分断を生み出し、実質的な思考停止をもたらしている。その社会の分断は、まさに支配者が望んでいる現象なのである。

 政治とは、単純なスローガンで語れるものではない。現実は複雑であり、イデオロギーに基づいた単純化は、問題の本質を見誤る原因となる。政治的な符号に飛びつくのではなく、その背景にある政策や理念を精査し、自らの思考で判断することが求められる。

 ヒトラーの言葉は、単に歴史的な警句ではない。現代の政治にも当てはまる普遍的な警告である。思考を停止し、符号に踊らされる大衆は、常に権力に利用される運命にある。左派も右派も、その構造を無自覚に受け入れている限り、本質的には何も変わらないのである。

● ロシアのG7復帰?

 トランプは2月13日、ロシアをG7に復帰させるべきだとの考えを示し、「(ロシアを)排除したのは間違いだった」とし、「ロシアを好きかどうかの問題ではない」と指摘した。今更、ロシアは同意しないだろう。トランプは従来の「連露抗中」戦略をやりたくても、この5年で状況が特にウクライナ戦争で、大きく変わった。中露連合によるシベリアと北極戦略は、トランプのカナダ・グリーンランド戦略に対抗する、こういう構図が明らかになった。

● 日産解体と戦艦大和解体

 2024年末に協議が始まった日産とホンダの経営統合は、ホンダによる子会社化案を日産が拒否したことで白紙となり、いよいよ「日産解体」が現実味を帯びてきた。一部のメディアは、「日産が子会社化に同意していれば、たとえ日産という社名が消えても、経営資源の存続は可能だった。しかし、日産はその高いプライドを捨てることができなかった」と分析している。

 しかし、これは誤った見方だ。プライドは本来、生存を前提とするものであり、合理的な判断を妨げる障害にはならない。むしろ、日産が統合を拒否した背景には、ホンダが求めるドラスティックな改革による組織内部の大量脱落、既得権益の喪失に対する反抗、そして生き残る者への嫉妬があったのではないか。つまり、問題の本質は「プライド」ではなく、組織内部の玉砕メカニズムにこそある。

 これは、日本の歴史に根付く集団心理の表れともいえる。日本人の「玉砕精神」は、戦時中と同様に今もなお生き続けている。戦艦大和の最期が象徴するように、「生き残ることが許されない」という心理が組織内で強く働く。生き延びた者は、戦死者や遺族に対して申し訳が立たない——その感覚が、組織を非合理的な決断へと追いやる。日産のケースも同じだ。変革により生き残る者が出れば、淘汰される側の反発は必至である。そして、最終的には誰も「生き延びる」という選択肢を口にできなくなる。

 こうした組織の玉砕現象こそが、戦艦大和の悲劇と日産問題をつなぐ本質的な要因である。合理的に考えれば、日産はホンダの提案を受け入れるべきだった。しかし、組織内部の「生き残る者を許さない」という集団心理が、それを阻んだ。結果として、日産は「名誉ある死」を選び、解体への道を進んでいるのである。

● 栄枯盛衰の周期

 日本の衰退が問題になっている衰退は怖くない。怖いのは栄枯盛衰の周期がなくなることだ。

 中国古代からの栄枯盛衰の周期は、王朝ごとに見られる。各王朝は、建国期に強力な指導者や効率的な行政システムを確立し、経済や文化が繁栄する。しかし、時間の経過とともに、政治の腐敗、社会の不平等、外部からの脅威などが増大し、衰退が始まる。最終的には、内乱や外敵の侵入によって王朝が滅び、新しい王朝が興るというサイクルが繰り返された。このような周期は、中国史において「王朝循環」とも呼ばれている。

 漢代以降の王朝循環周期は200~300年と安定している。この周期を中華人民共和国に当ててみると、これからはむしろ繁栄期に入る。

 日本は万世一系で中国と異なる循環周期を見せている。政治や社会構造の変遷(天皇→武家→幕府→近代国家)によって栄枯盛衰が繰り返されてきた。中国式の王朝循環周期を当てはめることができないから、複雑かも知れない。ただ共通しているのは、崩壊と再生の出現。崩壊の証がまだ見えていないので、衰退は当分続くだろう。

 「失われた30年」が50年や100年へと続いたら、歴史の中では短い瞬間でも個人にはとんでもない長さだ。

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