ドッグイヤーといって、犬は人間の約7倍の速さで成長し老いていくことから、時代の移り変わりの速さを言う。
7倍とは、人間の1日が犬の1週間という計算になる。もし、人間もこのペースで成長し老いていくのなら、人間の思考回路や行動パターンはどう変わるのだろうか。
学校へ行くのだろうか。仕事をするのだろうか。一生懸命に出世を考えるのだろうか。生活を切り詰めてローンを組んで家を買うのだろうか。貧富にこだわるのだろうか。大量生産や大量消費をするのだろうか。戦争をやるのだろうか・・・。そして、人間は幸せだろうか。
犬はなぜ忠誠心の塊なのか。十数年の命で頑張ってサバイバルするよりも、とにかく人間にケアしてもらい、可愛がってもらい、それで幸せになる。とても密度の高い人生ならぬ犬生を有意義に過ごす。このようなDNAが植えつけられているのかもしれない。
これも生き方なのだろう。中国では、「犬」は人を蔑視する表現である。そもそも、中国は伝統的に、「忠」よりも「孝」を優先とする、家族・血縁関係中心の社会であるだけに、理解できなくはないだろう。
生き方はそれぞれ。正しいや間違いという区分はない。私も一度くらいは犬に生まれ変わってみようかなと一瞬思ったりする。このようなことは何回もあった。
そう考えているうちに、漱石の「吾輩は猫である」を読み返すと、何だか驚くほどの新世界が見えてくる。
吾輩は犬である?・・・