丸裸のまま自分の心のままに、生き方は自分で決めよう

 ニュースを読むと、ハンガリーではスティーブ・ジョブズ氏の銅像が建てられたという。空前の「ジョブズ・ブーム」に人々はそれぞれどのような思いで氏を偲ぶのだろうか。

 私がもっとも感銘を受けたジョブズ氏のスピーチの一節を抜粋紹介する。

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 「17歳のとき次のような一節を読んだ。『毎日を人生最後の日であるかのように生きていれば、いつか必ずひとかどの人物になれる』。私は感銘を受け、それ以来33年間毎朝鏡を見て自問している。『今日が人生最後の日だとしたら、私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか』。そしてその答えが、いいえであることが長く続きすぎるたびに、私は何かを変える必要を悟った」

 「自分が間もなく死ぬことを覚えておくことは人生の重要な決断を助けてくれる、私が知る限り最も重要な道具だ。なぜならほとんどすべてのこと、つまり、他の人からの期待や、あらゆる種類のプライド、恥や失敗に対するいろいろな恐れ、これらのことは死を前にしては消えてしまい、真に重要なことだけが残るからだ。いつかは死ぬということを覚えておくことは落とし穴を避けるための私が知る最善の方法である。何かを失うと考えてしまう落とし穴を。あなたはもう丸裸だ。自分の心のままに行動しない理由はない」

 「死を望む者はいない。天国へ行くことを望む人でさえ、そのために死にたいとは思わない。それでもなお死は我々すべてが共有する運命だ。それを免れた者はいない。そしてそうあるべきなのだ。なぜなら死はほぼ間違いなく生命による最高の発明だからだ。死は生命に変化をもたらす主体だ。古き物を消し去り新しき物に道を確保する。現在は皆が新しき物だが、いつかそう遠くない将来皆は徐々に古き物になり消し去られる。芝居がかった表現で申し訳ないが正に真実だ」

 「皆の時間は限られているから誰か他の人の人生を生きることで時間を無駄にしてはいけない。教条主義の罠にはまってはならない。教条主義とは他の人々の思考の結果に従って生きることだ。他の人の意見という雑音に自分自身の内なる声をかき消されないようにしよう。そして最も重要なことは、自分の心と直感に従う勇気を持つことだ。心と直感は本当になりたい自分をどういうわけか既に知っている。その他すべてのことは二の次だ。

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 以前、ブログにも書いたように、私自身も「明日死ぬ前提で生きている」人間だと思っている。私は、考えていることをすべて率直に言い、相手が顧客だろうと、友人だろうと、家族だろうと関係なく。たくさん言いすぎると、必ずどこかで間違ってしまう。間違ったらお詫びして訂正すればよい。間違いを恐れて、ものを言わないよりは、間違って訂正したほうがすっきりする。すると、不思議にも間違いが減るのである。それは、人間に学習機能があって、間違いを何度も繰り返さないように作動しているからだろう。

 言うだけでなく、思い立てばすぐ行動を起こす。「思い立ったが吉日」というが、私の場合、毎日吉日である。

 人間は丸裸でこの世に生まれる。そして、丸裸でこの世を去る。だから、丸裸のまま、自分の心のままに行動しない理由はない。

 人間は生まれ方を選べない。しかし、死に方は選べる。死に方を選ぶ前に、まず生き方を選ばなければならない。これは、神様から与えられた一番の権利ではないだろうか。生き方は自分で決めていますか、それとも他人に委ねていますか?

 生きていくために、生き方を他人に委ねることからは、たくさんの幸せが生まれない。私はこう思う。