<雑論>国際政治における浮気の「姿勢」 / 人間の本性と毒舌 / 反独裁名乗った独裁集団 / 都知事選雑想 / ランキング

● 国際政治における浮気の「姿勢」

 日本はどうせ大国の属国だから、大国同士に争わせたほうが利益の最大化ができる。大胆な仮説を立てよう――。

 日本は中国に「日本の太平洋沿岸に1か所だけ、中国軍の基地を作ってもいい」と提案する。ただ条件がある。当該地方に中国が巨額の財政投入をし、かつ当該地方の住民投票で賛成多数を得ることだ。リース契約は10年単位で更新する。更新にあたっては住民投票で是非を問う。これによって第一列島線における台湾の価値がガタ落ちする。米国は資源を日本に集中せざるを得ない。

 今のままで行くと、米国が数年や十数年後に中国に負け、第一列島線から引き揚げるのが目に見えている。その時になって宗主国を切り替えるよりも、今のうちに能動的に動き出したほうが有利だ。もちろん、こういう戦略を打ち出せる指導者は日本に生まれない。弱小国には、浮気の「姿勢」が必要だ。どちらかの大国に一辺倒的に付くことは禁物。忠誠心やその道一筋では通用しないし、片方の大国に「釣った魚に餌はやらない」で扱われて損するのがオチ。

● 人間の本性と毒舌

 世界人権宣言第1条、「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。 人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」

 前半は、権利。後半は、義務。だが、現実の世界は、権利が膨張し、義務が萎縮する。という深刻な非均衡状態に陥っている。自由・民主主義社会の政治は、「権利」を謳歌する。「義務」を語る政治家はまず、票が集まらず、当選しない。結局、権利を謳歌する政治家が当選すれば、自分の利益拡張に取り組むだけ(選挙の投資を回収する必要があるから)。言ってみれば、「権利」とは、実体の伴わない芝居の歌詞、美辞麗句に過ぎない。

 フランス革命の「自由・平等・博愛」は、当初「自由・平等・財産」だった。全てが「権利」。人間は、義務を嫌う動物なのだ。私自身も含めてだ。この人間の本性を、認識し、明言できるのは、ほんの一握り、私のような筋金入りのリアリストだけである。

 私は生身の人間で、お金好き、怠惰、嫉妬、時には嘘つきといったあらゆる人間の「原罪」を持ち合わせている。ただ、これを明言するという誠実さだけは、大方の人間では持ち得ない。つまり最大の原罪である「偽善」から、私はほぼ脱出している。悪は偽善より善であると、私は認識している。悪を加工し、飾り立て、善と偽るのは、真悪である。

 もちろん、私はいわゆる社会性の喪失(他人に嫌われやすい)からは、多くの経済的利益の損失、特に機会損失を蒙っている。それが「お金好き」という本性にはいささか矛盾しているかもしれない。だが、私はお金の代わりに別の利益を手にしている。それは、人生の最期に、家族サービスの不足という悔い以外に何ら悔いも残らないと納得することだ。

 その通り、納得するというのも利益である。名付けて「毒舌利益」。補足するち、毒舌目当てのクライアントも存在する。さもなければ、私は特に餓死している。そして、毒舌だけは、AIがなかなか取って代われない。

● 反独裁名乗った独裁集団

 私は法輪功を批判している。先日、法輪功傘下メディアの大紀元の日本責任者が私に問い詰めてきた。「あなたは日本人ですから、なぜ法輪功を批判するのか?」。要は日本がアメリカに追随して反中(共)するはずだと。では、反中のアメリカがなぜ、法輪功の幹部を逮捕起訴するのか?反中反共の看板を掲げ、詐欺、マネロン、未成年者虐待・監禁・違法労働……。アメリカが法輪功をどう処理するか、みるがよい。

 アメリカは少なくとも米国批判を禁止していない。しかし、法輪功は反法輪功の言説を許さない。直ちに「独裁支持」のレッテルを貼る。教祖の李洪志に異論を唱える法輪功の幹部ら(虞超氏や萧茗氏など)は、直ちに「中共スパイ」のレッテルを貼られて追放される。その人たちの証言を聞けば、本質に気づくはずだ。法輪功のやっていることこそが、言論の自由、思想の自由、思考の自由を否定・抹殺する独裁ではないか。

 法輪功はもしや、邪教の名にも値しない詐欺集団なのかもしれない。アメリカの裁判を見守ろう。真相は見えてくるだろう。

● 都知事選雑想

 東京都知事選、選挙の食傷気味だ。政治に無関心だから投票率が低いというが、政治に無関心、無知な大衆が投票しているのが不投票以上に恐ろしいことだ。政治のことがわからないまま投票するのは、まるで無免許運転ではないか。

 都知事選に興味があったのは、選挙の結果でなく、選挙に対する人々の反応である――。期待、落胆、批評。面白いのは、SNSでは、優勢当選した小池氏を褒める、ポジティブなコメントがほとんど見ないことだ。良くも悪くも票が集まって当選した人物ではないか。彼女に票を入れた「サイレント・マジョリティ」の存在が無視されている。

 「東京はダメだ」と言う論調。それが本当なら、都民の自壊行為にすぎない。民主主義のルールに則って選択された結果だから、マジョリティの意思決定がたとえ間違いであっても、受け入れるしかない。国政も然り。日本が悪化しているのは、政治が悪いからだと。民主主義国家で、政治が悪いのは、最終的に国民有権者の問題ではないか。

 人間は誰もが共通しているのは、悪いことになると、「三人称」を使ってしまうことだ。民主主義制度の主人は、一人ひとりの国民で、「われわれ」という一人称で語るべきだろう。もしマジョリティの票に問題があるならば、それは民主主義投票制度自身の問題になる。

 小池がダメだ、岸田がダメだと叫べても、そもそも民主主義がダメなんじゃないの?と疑問視する人はあまり見ない。「独裁支持者」というレッテルを貼られたらオチだからだ。どんなことがあっても民主主義は絶対善だからだ。完全に洗脳されている。正確にいうと、脳が民主主義OSにデフォルト化されている。

 国益になるが、国民に不人気な政策が取れないのは、民主主義の致命傷。本当ならば、数年一度の選挙以外に国民は政策に口を出すなというのが正しい。どうせ分からないのだったら、黙ってろ!政策で人気をとるのに、お金のバラマキしかない。結果は3つ――。借金が増えること、怠け者が増えること。特権階級の資産が増えること。

● ランキング

 「……3位○○、2位××、気になる1位は?」。最近、この手の記事(見出し)が急増している。人の心理を利用して記事のアクセスや閲覧を増やすための仕掛けにすぎない。ランキング効果という大衆心理、「バンドワゴン効果」とも言う。 「多くの人が支持しているものは良いものだ」と無意識のうちに思ってしまうからだ。みんなが取っている行動に追随する。たとえそれほど興味のない分野でも、ランキングに釣られることがある。

 外的なランキングと類似するのは、内的な「基準値」「平均値」志向。「多くの人が置かれている状態は良い状態だ」と。いずれも、「羊群れ現象」だ。そして、世の中、大事なのは、「一位 Best One」でなく、「唯一 Only One」、番付でなく、分類である。

 大事なランキングもある。世界競争力ランキング2024――。日本は38位。トップ20に入っているアジアの国は、すべて中華系と韓国。このランキングが始まった1989年から1992年までの期間では、日本は世界第1位だった。それ以降、日本の順位が毎年下がっていく。なぜ下がったかというよりも、当初4年連続1位のほうが異常値ではないかと疑うべきだろう。後半の「失われた30年」でななく、前半の「得した40年」だ。

IMDの資料をもとに東洋経済作成(ただし、39位はインドの間違い)
タグ: