日本必敗、歴史は繰り返す

 太平洋戦争の日本敗戦については、様々な分析がある。だが、敗戦を事前に正確に予測していた人たちがいる。

 元海軍大佐の水野広徳が唱えた「日米非戦」は、1920年代から1930年代にかけて日米間の戦争を避けるべきだとする提言である。水野は、戦争の勝敗を決定するのは軍事力ではなく経済力であると考えた。具体的には、アメリカは世界最大の経済大国であり、日本とアメリカの経済力には圧倒的な差があるため、日本がアメリカと戦争をしても勝つ見込みはないと断言し、日米戦争を回避することを提案した。

 水野の考えは、第一次世界大戦での彼の経験に基づいている。戦争においては、兵器や物資の供給を続ける経済力こそが国の強さを決定すると確信していた。しかし、この「日米非戦」の提言は、当時の日本で広がっていた対米強硬姿勢を支持する世論から強く批判され、「崇米論者」や「恐米病」といったレッテルを貼られた結果、次第に無視されるようになった。

 「戦っても負けるのでやめた方がいい」という水野の提言は冷静かつ論理的な分析に基づくものであり、後の歴史から見ても傾聴に値するものであった。それは、後になって、今になって、結果が明らかになってから誰もが納得するものだが、その当時、正論はなぜ無視されたのか?

 当時、同じく元海軍少佐の軍事評論家・石丸藤太は、水野と対照的に戦争で重要なのは「金ではなく人」「国民の精神的動員」だと主張をしたのである。さらに、アメリカ人は愛国心が乏しく、「忠君愛国の精神旺なる日本人には敵し難し」と根拠のない「日本スゴイ論」を披露し、人気を集め、日本社会の「空気」を醸成した。

 その後、近衛文麿首相直属の研究所にエリートたちが集められて、対米総力戦についてシミュレーションを繰り返した。そこで41年の8月に出た結論は「国力上、日本必敗」。奇襲作戦を敢行すれば緒戦の勝利は見込まれるが、戦争が長引けば経済力・資源量の圧倒的な差で敗退を余儀なくされる。最終的にはソ連参戦を迎え、日本は敗れる。だから、なんとしとも日米開戦を回避しなくてはいけない、という結論だ。

 水野から後日の若きエリートたちまで、理性的に到達した結論は、日本社会からは排除された。しかし、その結論はそのまま歴史の真実となった。数十万人の日本人はそれで犠牲になったのだ。いかに痛々しい歴史か。しかし、日本人は歴史から学んでいない。学ぼうともしない。

 現状では、対外的に、経済的にも軍事的にも中国に何ら勝算もない日本は、米国追随と対中闘争の一辺倒。国内では、競争メカニズムの機能を抹殺し、「みんなが同じ」に固執していれば、全員滅びるという結果になろう。このままいけば、日本は助からない。少なくとも中国よりははるかに早い段階で日本は敗北し、場合によっては大敗する。

 今日においても、このような「日本必敗」論は、人気がないどころか、「反日」のレッテルを張られるのがオチだ。太平洋戦争当時とは何ら変わっていない。日本の宿命だ。

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