NHKキャスター痴漢報道で見る政治家の論理的思考力

 本日の安倍晋三自民党総裁のFacebookでは、下記の内容と写真が掲載された。

 11月16日放送のTBS『みのもんたの朝ズバ!』で、NHKキャスターの痴漢行為を、ニュースとして流す中で、なんと私の顔写真が写し出されたそうです。ネットの指摘で明らかになりました。
その日はまさに解散の日。ネガティブキャンペーンがいよいよ始まったのでしょうか?…もし事故なら私のところに謝罪があってしかるべきですが、何もありません。
 「はい、先ほど、あの関係のない映像が出てしまったという事ですが、大変失礼しました。」と番組内で女性アナウンサーが言ったきりです。
 かつてTBSは、私が前回の総裁選に出た際、「731細菌部隊」の報道のなかに私の顔写真を意図的に映り込ませる悪質なサブリミナル効果を使った世論操作を行いましたが「・・・またか。」との思いです。・・・(以下略)

90409_2写真:安倍晋三氏Facebook

 事実は、安倍氏の指摘通り、二通りの可能性がある。(一)TV局のネガティブキャンペーン(故意・主観的行為)、(二)TV局の事故(過失・非主観的行為)。

 安倍氏のロジックは以下の通りだ。

 事故である場合 → TV局が安倍氏に謝罪する → 謝罪がない → 事故ではない → ネガティブキャンペーン(意図的行為)だ。それに、「過去のTBSの世論操作事件」を歴史的根拠として加え、結論に導いた。

 私はいくつか疑問・質問がある、安倍氏に聞いてみたい。

 ① 「事故 → 謝罪」の因果関係について、TV局の事故であれば、必ず謝罪するのか?
 ② TV局のマナーが悪くて、事故しても謝罪しない可能性はないのか?
 ③ もし謝罪が時間の問題で、現時点に謝罪しなくても、後から謝罪してくる可能性はないのか?あとから謝罪してきた場合、安倍氏は上記の結論(意図的行為論)を修正、あるいは撤回するのか?それに対して謝罪するのか?
 ④ 逆に、意図的な行為であっても、謝罪してくることはないか?~「すみませんでした」と謝罪はするが、実は意図的にやった確信犯だったという可能性。

 私は事実の真相を知る術がないので、真相について議論しない。真相を探求する手続と方法論について議論したい。今回の映像事件について、主観的意図と客観的事実を組み合わせて考えると、最終的に4通りの結果がありえる。

 (a) TV局の事故 → 最後まで謝罪しない。 → <結論a>安倍氏の誤論、メディアのプロ意識とマナーの欠落。(「事故→謝罪」=誤論、「意図的行為論」=誤論)
 (b) TV局の事故 → 最終的に謝罪(将来形)。 → <結論b>安倍氏の正論誤論半々。(「事故→謝罪」=正論、「意図的行為論」=誤論)
 (c) TV局の意図的行為 → 最後まで謝罪しない。 → <結論c>安倍氏の正論、メディアの倫理欠如。(「事故→謝罪」=正論、「意図的行為論」=正論)
 (d) TV局の意図的行為 → 最終的に謝罪(将来形)。 → <結論d> 安倍氏の正論誤論半々、メディアの深刻な倫理欠如。(「事故→謝罪」=誤論、「意図的行為論」=正論)注:TV局は映像の誤操作について謝罪。

 さらに、質問すると、上記(a)(b)(c)(d)の可能性が存在することを、安倍氏は知っているのだろうか。そこで、二つの可能性がある。

 (e) 安倍氏はそれを知らないで発言した → <結論e> 一党のトップ、あるいは将来的日本の指導者としての適格性が問われる(論理的な思考力の欠如)。
 (f) 安倍氏はそれを知っていて発言した → <結論f> それこそ、世論操作ではないだろうか。メディアの世論操作と政治家の世論操作の異質性を考えると、議論がさらに展開するだろう。

 見ての通り、上記の<結論a>から<結論f>まで、程度の差こそあるものの、どれも酷いものだ。これがいま日本の現実だ。これに日本の国民は気がついたのだろうか。「世論操作」とは、操作される人間がいてこそ、操作するものであって、国民が世論に操作されない、操作されにくい、批判的な思考を持っていれば、「世論操作」自体が存在する余地すらなくなる。もし日本国民が世論操作されやすい国民であれば、問題はどこにあるのか、政治家には責任がないのか、これから日本国民の批判的思考の育成にどう取り組むべきか、明確な戦略・政策の提示が必要となるだろう。

 いや、そもそも、日本国民の一人ひとりが批判的思考をもったら、いまの政治家にとって都合が悪いだろうか?・・・これを今日最後の問いとするが、結論は政治家一人ひとりの心の中にある。