腐敗食材の選択自由、食材が腐っても自分の頭だけは腐らせるな

 12月に、総選挙が決まった。2009年8月以来3年4か月ぶりの総選挙。いまの日本は何回総選挙をやってもムダだ。

 覚えてますか?2009年8月31日、民主党が圧勝で政権奪取。日本中湧き上がった。その日に、私が書いたブログ記事、「2009年08月31日 腐った肉と正体不明な魚、政権交代のための政権交代か」

 自民党が腐りきった肉であれば、民主党は腐る魚。不幸にも、私の予想が的中した。民主党はやっぱり腐った魚だった。

 さて、12月の総選挙は、今度また腐る肉に戻りそうだ。今回は総選挙を待たずに予言しよう。現状では何党が選ばれても、先は同じだ。なぜなら、市場に腐る食材しか置いていないからだ。ただ、一応民主主義国家と称している以上、商品だけは豊富だ。どれもこれも腐っているか、腐りかけている。民主主義の良さは、腐ったものでも腐った状態や消費者の嗜好で、腐敗食材の選択の自由が与えられていることだ。

 腐った政治を罵ることは国民なら誰でもできる。政治を腐らせた国民には、責任はないのだろうか。政治家が悪い!被害者は正義だというのも一つの正義だが、その正義が続く限り、国民は永遠に政治を罵りながらも、腐った政権や政党と付き合い続け、次から次へと腐敗食材を賞味していくしかないのである。

90319_22009年8月31日写真、鳩山さんを安倍さんに換えるだけでそのまま使える

 世の中を変えるには、二通りの方法がある。一つ、他人を変える。一つ、自分を変える。どっちを選ぶかは各人次第だ。腐った食材が市場に溢れていても、自分や家族のためにクリーンな食べ物や飲み水だけを残し、島沈没に備えてノアの方舟を用意しておくことだ。

 政治や政治家がどんなに腐っても、国民は自分の頭を腐らせたら終わりだ。政権交代を願うことはいかに無力か。腐った食材の間で選択を強いられる日本国民は実に悲惨だ。幸いなことに、最近目覚め始めた日本人がどんどん増えてきている。他力本願か自助努力か、それは一人ひとりの価値観だが・・・

 総選挙などは、そもそも「政権交代」のための政権交代だ。私が2009年8月に言ったことを、もう一回ここで言うし、恐らく3年後の2015年もまた同じことを言うだろう。

 今の日本には、一つだけできることがある。祈ることだ――。God Bless Japan!