トランプにマルクスの影が見える、そのワケ

 トランプにはなぜか、マルクスの影が見える。

● マルクスは単なる共産主義ではない

 マルクスといえば、共産主義。これは短絡的な捉え方である。共産主義を嫌い、マルクスを批判する人のほとんどが、マルクスの思想そのものを十分に学んでいないと言える。

 マルクス主義は社会の分析方法であり、物事の捉え方、すなわち「方法論」である。確かに共産主義は、マルクス主義が描いた理想社会の1つの形である。しかし、その理想に至るまでの社会分析や批判の手法、階級闘争の理論は、共産主義という目的から独立した哲学的・方法論的な価値を持っているのである。

 民主主義社会においても、政治的価値としての自由や民主主義と経済的利益が対立すれば、最終的に後者が優位に立つことが多い。マルクス主義の根底にあるのは、経済という「下部構造」が政治や宗教、法、文化などの「上部構造」を規定し、形成するという理論である。この視点は現代社会の多くの局面にも当てはまり、社会分析においてもずれの少ない枠組みを提供する。

● ディープステートと一般市民の階級闘争

 ここから、現代社会における階級間の対立や権力関係が見えてくる。マルクスの時代には、資本家階級と労働者階級の対立が主要な構図だったが、これが現代では国際金融資本、いわゆる「ディープステート階級」と一般市民階級の対立として現れている。

 支配階級がこの階級闘争を「見えないもの」とするため、分断のための戦略が講じられている。その手段の1つが「人権」という概念である。人権を巡り市民同士の争いが繰り広げられることで、対立の矛先が本来向けられるべき支配階級から逸れていく。これは、マルクスのいう「疎外」の現代的な形態とも言え、いわば市民階級の「相互疎外」が生じているのである。

 結局、マルクス主義とは単なる共産主義という最終目標ではなく、社会を科学的かつ批判的に理解するための方法論であり、社会の力関係や構造を明らかにしようとする哲学的視座である。この哲学的・方法論的な側面があるからこそ、マルクス主義は単なる思想を超え、現代の社会分析においても多面的なツールとして評価され続けている。

● トランプとマルクス

 トランプがしばしば言及する「ディープステート」という概念には、マルクス主義的な社会分析の方法論が垣間見える。その民衆からの熱狂的な支持は、時代を超えてもなおマルクスの理論が現代に生き続けていることの一つの現れであるとも考えられる。

 民主主義と資本主義の結合によって、結果的には資本が民主主義を支配してしまう現実がある。資本によって制御される似非民主主義から市民を解放するためには、資本が主導する市場経済にのみ依存するのではなく、政治や国家権力の介入が欠かせないと。こうした背景から、習近平が独裁者とされ、トランプもまた「独裁者」の潜在的資質を持つとして批判されることになったのである。

<次回>

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