売春婦が買春客を非難する世の中、新時代の搾取モデル

● 「人権」の正体

 スウェーデンのNATO加盟について、トルコのエルドアン大統領は同意に転じた。トルコはスウェーデンに亡命したクルド人武装勢力らの身柄引き渡しなどを求め、加盟に難色を示してきたが、今般の同意に何らかの裏取引があっただろう。クルド人も、トルコのEU加盟も、取引材料だ。

 国際政治のすべてが利益の交換、取引であり、「民主対独裁」のようなイデオロギーの闘争は存在しない。人権も取引のカードにすぎない。

 やたら、ウイグルやチベットの人権問題で中国を罵倒する日本人が多い。それは幼稚そのものだ。そこまで人権が大事だったら、日本政府に中国との断交を求め、中国サプライチェーンを断ち切り、自給自足の生活をしたらいい。それはできないと。高コストの負担だけはしたくないと。

● 売春婦と買春客

 カネのために売春する娼婦が買春客の非道徳性を非難するとは、いささか職業倫理に反するのではないか。体裁が悪すぎ、そのみっともない自己像はコモンセンスとして日本人の持つ美学から逸脱している。

 今の世界。日本嫌いな中国人は、日本製の商品をボイコットしても支障なく暮らせる。いや、むしろ最近国貨(中国ブランド)にどんどん人気が出始めている。しかし、中国嫌いな日本人は、中国サプライチェーンを切って食っていけるのか。お金のない貧乏日本人は尚更だ。

 貿易の4分の1が中国に頼っている日本人は、中国と必死な対決するには自決するくらいの決意を持たないとできるわけがない。甘いぞ。日本人はたくさんの自己矛盾を抱えている。気づいたのだろうか?

 税金はできるだけ払いたくないが、きめ細かな行政サービスがほしい。移民は来てほしくないが、自らは肉体労働をしたくない。中国は嫌いだが、サプライチェーンだけは維持したい。自由や権利はほしいが、制限や義務は引き受けたくない。政治家に文句を言うが、票はやはり自民党に入れてしまう、などなど。

● オシッコも有料だ

 そうだ。LGBT問題もある。経済産業省に勤めるトランスジェンダーの職員が、職場の女性用トイレの使用を制限されているのは不当だとして国を訴えた裁判で、最高裁判所は、トイレの使用制限を認めた国の対応は違法だとする判決を言い渡した(7月11日付NHK)。

 思うに、トイレの種類を増やしたらどうだろう。今のトイレは男女以外に障害者用がある。さらにLGBT用を追加したらいい。コストはかかるが、有料トイレ化すれば回収できる。LGBT法で理解促進だから、オシッコ1回100円で応援しよう。多様化やら何やら民主主義は結局コストだから、全員が引き受けるしかない。

● 人権ビジネスの正体

 また、原点に戻ってくる――。経済的利益イデオロギーの関係だ。この世の中、本物のイデオロギーなど高尚なものはほとんど存在しない。民主主義やら人権やら口々に唱える人たちは、2種類ある――。

 1種類は売り手(サプライヤー)、これらのイデオロギーを商材として売るグループ。政治家や論客、メディア、社会活動家、そして何よりも関連産業・企業を司る資本家階級(例:軍需産業)などがこれに該当する。

 もう1種類は買い手(顧客)、これらのイデオロギーを商品として買うグループ。有権者や読者、視聴者などの労働者、一般大衆である。彼らは自分の1票、金銭や時間、労働などを対価として商品を購入し、多大な利益を搾取されている。

● 新時代の搾取モデル

 見ての通り、搾取の構図は、つねに上層・特権階級と下層・労働者階級の対峙であり、マルクスの時代となんら変わっていない。いや、マルクス時代よりもはるかに搾取行為が潜在化し、悪質になった。

 マルクス経済学では、「剰余価値」という概念が説かれている。資本の生産過程において、労働者の賃金を超えて生み出される価値のことで、これが資本家階級により搾取されていた。その搾取は可視的で顕在化し、労働者階級が受動的に搾取されるものだった。

 しかし、今日の搾取は非可視的で潜在化し、下層・労働者階級が能動的に搾取されるものに変わった。マルクス時代の搾取は、資本や暴力によって行われていたが、今の民主主義時代の搾取は、教育やプロパガンダによって行われている。

 フラットな社会になればなるほど、些細な格差がより見えやすくなる。その格差から人間の嫉妬やルサンチマン感情が募る。これらは、民主主義社会では、「権利意識」という美名に読み替えられ、特権階級による搾取行為の燃料にされる。

 マルクスも真っ青。想像すらできないこの未来世界は、是非お墓から出てきて、見学してもらいたい。

● 民主主義の腐敗

 世の中、民主主義国家は少数である。2019年、スウェーデンの調査機関VーDemは、世界の民主主義国・地域が87か国であるのに対し、非民主主義国は92か国となり、18年ぶりに非民主主義国が多数派になったという報告を発表した。

 民主主義の傲慢さが行き過ぎるよりも、昨今の非民主主義に対する露骨な敵対姿勢は、まさに民主主義の退潮、変質、腐敗、何よりも自信喪失を示唆する事象である。アメリカを見れば一目瞭然だ。

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