セクハラの仕組み、ハマってはいけない罠とは?

 セクハラ騒動!台湾の政界とメディア。少し前は、「上半身」の学歴詐称。ここのところは、「下半身」のセクハラMeToo一色。全身上下、渾身の民主主義馬鹿騒ぎ。正直、全民セクハラの精査をすれば、男性の8割が容疑者だろう。文化大革命V2.0にほかならない。セクハラの仕組みを簡単に解説しよう。

● 仕組みその1、セクハラは動態的な解釈の問題だ
 
 セクハラとなり得る言行を女性が受け入れれば、ロマンスや愛というものに変わる。例えば、A男がB女にセクハラをやったと自首し、謝罪したとしても、B女は逆に「いや、あれは親しい友情だった」と否定すれば、それは即ちセクハラでないことに確定する。

 要するにセクハラは、解釈の問題だ。さらにその解釈は一方的かつ動態的でさえある。後から転換したりする。事後にセクハラに解釈転換する場面もあれば、逆に当初のセクハラから後日のロマンスに変わる事例だってある。

● 仕組みその2、セクハラは大衆の好奇心・嫉妬心が利用される

 そもそもそういう動態的な展開まで法で追っかけるとなれば、司法リソースをはじめ膨大な社会的コストがかかってくる。民主主義のコストは結局国民に跳ね返ってくる。にもかかわらず、下半身故の分かりやすさで大衆の本能的な好奇心が駆られる効果がある。

 好奇心だけではない。嫉妬心も盛んである。権力者に期待を託したところで、彼らをいささか神格化してしまう。いわゆる凡人のやることをやらないだろうし、やってはいけないという先入観だ。権力を利用してセクハラをやったら、権力をもたない大衆からは嫉妬心が芽生える。ルサンチマンだ。

● 仕組みその3、セクハラ「被害者」の真偽判断が難しい

 一方、男性が権力を利用してセクハラをするというが、逆に権力や利益の裾分けを期待して進んで権力者に近づく女性もいる。枕営業だってある。それが成功すれば「WinWin」だが、取引に失敗すればあとから怨恨が生まれ、「セクハラ」ないし「レイプ」で報復したり、さらに女性が他者(政敵など)に利用され、他者から利益を得て攻撃を仕掛けることもあり得る。

 セクハラとえば、MeTooで申し出た女性全員が善人で、被害者である保証はどこにもない。丹念に仕分けなければならない。真の弱者・被害者救済にはフィルタリング・選別という取引コストが大きい。そのコストを負担するのは国民にほかならない。

● 仕組みその4、セクハラは議論を許さないという非民主性

 上記のような疑問あるいは議論の余地を提示しただけで、「被害者」とされる女性の「二次被害」としてポリコレ棒に叩かれることはほぼ間違いなし。問題は法的判断でさえ難しいというのに、なぜ一般大衆がそこで断罪できるのかだ。結局、社会的道徳法廷の大衆裁判が先行し、私刑の世界になる。まさに文化大革命V2.0だ。

 「法的判断がなければ、被害の事実が消えるわけではない」、女性がよく使うセリフだが、そもそも「被告人欠席判決」であるうえ、相手の弁護すら許されない一方的陳述に基づく道徳法廷の判決には、理性的な人なら承服するはずがない。

 もう一度繰り返す。道徳法廷による大衆裁判は、法の支配を否定し、中国文化大革命の再現であり、そのV2.0である。

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