どっちにも嫌われる、マーケティング無視の無頓着発言

 先日ボイス・オブ・アメリカ(VOA)の私に対する取材記事(中国語)

 「立花はレベルが低い、下品」、この類の中国系のコメントが多数あった。それが真だとすれば、2つの可能性がある――。VOAが馬鹿で立花のような低レベルで下品な奴に取材をし掲載、放送したのか、それとも、VOAが意図的に立花を「反面教師」として使ったのかのどっちかだ。

 「立花って奴は中共からいくらもらったのか」。――「中露を敵に回して日本の国益にならない」「民主主義は独裁を撲滅することで新たな独裁になる」という私の発言に、反共の中国人らから非難が殺到した。では、「米欧民主主義万歳」「中露を潰せ」という人は、アメリカからいくらもらっているのだろうか。知りたくなる。

 VOAの視聴者層も例に漏れず、「白左」の傾向が強く、知的レベルが高いとは言えない。しかし、たまに私のような「アンチ主流的な反面教師」を混ぜると、視聴者の憤慨テンションを上げるのに効果があるようだ。VOAは無論、高度なマーケティング技能を持っているわけで、アンチの雑音を混ぜることで、「ほら、アメリカは民主主義で包容的だろう」というプロパガンダが可能になろう。

 思わず拍手を送りたくなる。さすがアメリカ、中共のプロパガンダより一枚も二枚も上手で全然洗練されている。VOAは頭が良くて中共からお金をもらっているような人には取材しないだろう。それを分からないのはやはり頭の悪い視聴者層である。

 一方、私は中共サポーターのいわゆる「小粉紅」層にも受けが悪い。彼らが好む真正面からの中共支持を私が一切していないし、むしろ彼らからすればぎこちない内容で、場合によっては回りくどい表現で間接的な否定論とも受け取られてしまったりする。

 要するに、私は反中と親中の両方から好ましく思われていない、嫌われているのだ。マーケティング次元では、失敗事例としか扱うことができない。つまり「誰」に「どう見られるか」という点ではまったく無頓着である。私は世間にどう見られるかという「見られ方」はどうでもいいのだ。私が気にしているのは、世界をどう見るかという「見方」である。

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