同性婚嫌だというだけでもダメか、「人権」名乗った別の「人権侵害」

 荒井勝喜首相秘書官が更迭された。問題となったのは、性的少数者や同性婚を巡る発言――。

 ① 同性婚が嫌と思う人はたくさんいる。
 ② 隣に同性婚の人が住んでいたら自分は嫌だ。
 ③ 同僚に聞いたらみんな嫌と言う。

 ①と③は、客観的な事実を述べている。②は、仮説に基づいた自分の感受(これも事実)を述べている。事実は、捏造でない以上、単なる事実であり、事実を述べたら問題になるとは、民主主義の言論・表現の自由の原則に反する。述べてはいけない事実があるのは、独裁専制だ。民主主義もそうであれば、独裁専制との本質的な区別が消える。

 私も、同性婚が嫌で、隣にそのような人が住んでいたら嫌だ。同性愛に対する違和感は、自然の摂理に基づく本能的な感受である。その感受を表すことが禁止され、そしてその感受をもつ人の存在という事実も否定されなければならないのなら、それは「人権」と名乗った別の「人権侵害」だ。

 最近の民主主義は、息苦しい。というよりも、民主主義は、濫用・悪用されている。アメリカのバイデン民主党政権が主導する「性別問題」は、大衆の分断、大衆と大衆の対立・闘争を狙っている。左翼社会主義的な政策であり、共産主義2.0にほかならない。上記の言論・表現の自由を禁ずる動きもその表れだ。

 民主主義を声高に唱える民衆は、知らないうちに民主主義による独裁の奴隷になっていく。

 幸い、私が住むマレーシアはLGBTを拒否する国だ。アンワル首相は「LGBT、共産主義、世俗主義(宗教排除)は絶対に認めない」と明言している(2023年1月7日付報道)。個人的に、堅実に宗教と伝統を守り、共産主義を拒否する保守国家が好きだ。

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