少女売春「支援」?避妊具の支給は正しいそれだけの理由

 SNSにこんな投稿があった(主旨)――。

 「貧困少女への支援物資に避妊具が入っている。支援団体関係者は、少女がお金をもらうために売春し、その時に身を守る必要があるから、避妊具を支給していると説明する。これを聞いて驚いた。売春行為に至らないよう、少女たちを保護する活動団体の務めではないか。行為それ自体が論外で、避妊具の支給は売春助長につながりかねない」

 避妊具支給は、正しい支援のやり方だ。

 売春は「悪いこと」だ。これは「価値判断」。少女たちがまったく売春しないのは、「最善」だ。「最善」が達成できればいいのだが、現実としては物理的に、売春を完全防止することができない。これは「事実認識」だ。

 結果的に売春による妊娠や中絶という二次被害を受けるのは少女たちで、出産した場合養育に社会福祉が当てられ、納税人の負担になる。さらに貧困層から生まれた次世代も貧困層になり、将来的に貧困故の次の売春や犯罪、社会貧困層の総量拡大につながるという三次被害も生じかねない。

 避妊具の支給によって、売春があっても、少なくとも二次や三次被害という「次悪」「最悪」をなるべく避け、減らすという意味での「次善」である。「最善」の達成に失敗して「次悪」や「最悪」に転落するよりも、妥協しての「次善」が現実的にもっとも効果的ではないだろうか。

 無論、売春防止は大事で、取り組むべきことだ。その議論は別に機会に譲りたい。
 
 日本人は往々にして「価値判断」先行して「事実認識」を無視する傾向がある。つまり、「べき論」をベースにする「理想」を追いかける。しかし、失敗したら「どん底」に陥る。日本人の幸福度が世界的に低いのも、そのためだ。

 理想を掲げるのは、簡単だが、理想と現実のギャップを埋めるのが、難しい。ギャップが埋まらないままにしておくと、不幸が増える。個人の不幸ならまだしも、社会政策レベルになると、社会全体の問題にまで発展する。現実を認識し、妥協すべきところは妥協するのが賢明だろう。

 そういう意味で、最善となる理想を掲げないか、低い理想しか掲げないことが大事だ。それでも、ギャップが埋まらないことがある。その場合は、さらに理想を下げると。

 日本社会は、いわゆる正論、最善論を掲げる同調社会である。最善論が出た時点で、「空気」がそれで固まってしまう。そこで誰もが次善を言い出せなくなる。長いこと、こういう社会に生きていると、ついつい最善論しか語れなくなってしまう。つまり、次善を考える思考力が失われることだ。

 現実は醜悪だったりする。いや、むしろそういう場面が多い。私自身は仕事柄、現実主義者なので、どうしても醜悪な現実にしか向き合わない習慣が身についている。引き算よりも、足し算。善美たる理想の実現における挫折という引き算よりも、醜悪な現実を少しでも改善していけば、足し算になり、幸せを実感できる。

 幸せになる方法は、ひとえに、「べき論」を語らず、志を低くすることである。

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