クラブのホステスに触りたい?香川照之氏銀座クラブ事件雑論

 香川照之氏の銀座高級クラブのホステスに対する「性加害」事件。正直、事件性のない事件だ。客の行き過ぎた行動ではあるが、ママはそこで収めておくのが仕事だろう。それでは、高価な「銀座飲み」の価値も意味もなくなる。香川氏の行動の善悪を論じるつもりはない。事実認識と価値判断は別物だから。

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 まず、銀座は客が高価な飲み代を支払って何をやってもいいわけではないが、店側も同様何をやってもいいわけではない。情報がメディアに漏れるなどとんでもないことだ。その手の事件は基本的にお金で解決するものだ。万円束の1つや2つでも十分すぎるくらいだろう。

 ここからはもう少し広げてみよう。某国のハニートラップにハマる日本人も外国人も多いようだ。友好やら交流やらで招かれた人は宴会三昧で飲み食いし、夜にホテルの部屋に知らない女性が訪ねてくる。男にはベッドにいる女は敵か味方か分別がつかないのだ。それは善悪の価値判断ではなく、事実認識だ。

 だから敵にやられないためにも味方の女を用意するのは1つの方法だ。言ってみれば、一種の「慰安婦」的な仕組みである。少しバッググランドが違うかもしれないが、2004年の上海日本総領事館員自殺事件は、まさに教訓だ。その領事が関わった上海虹橋のクラブは私もよく知っている。美人揃いだった。

 独裁国家は外国要人やキーパーソンのために女を用意する(ハニートラップ)。民主主義国家の男は飲み屋の自国女性にちょっとでも手を出したら直ちに叩かれる。これも善悪の価値判断ではなく、事実認識だ。

 飲み屋の美しい女性に触りたいかと聞かれたら、私も触りたい。これもまた、事実認識。聖人君子のふりをしても仕方ない。そもそもそういう「スケベ心」を持たない男はクラブなどは行かない(行けないではない)。さてさて、問題は触られた女性のほうがどう思っているかだ。

 以前、某水商売の女性に聞いてみた。答えは「客相手次第」そして「触り方次第」だと。好きな客に適切な触り方で触られることに抵抗を感じないそうだ。「好き」とは人物的なところと金銭のことである。水商売に従事している以上、これくらいのことを弁えていないと、ホステス失格だ。そういう女性をクラブが雇ったら、それはママの経営者失格だ。善悪よりも、事実認識だ。
 
 気が付いたかもしれないが、この文章には何度も「価値判断」と「事実認識」が出てきている。なぜかというと、この手の話をしているとすぐさまに善悪論で叩かれるからだ――。「お前は、女性に『性加害』をした人物の肩を持つのか」。反論できない正論(価値判断)を持ち出す。それはポリコレの怖さである。

 夜の銀座、高級クラブ、女性ホステス、高い飲み代、名門企業の有名人客、そして性加害…。と、この一連のキーワードだけで、事件性がなくても「ネタ性」は十分だ。視聴率やアクセス数の根底にあるのは、視聴者・読者のルサンチマンにほかならない。ルサンチマンはメディアに煽られ、市民裁判が始まる。

 香川事件を受けて政財界のリスク管理マニュアルに1つの項目が追加されるだろう――高級クラブ。影響を受けるのは銀座界隈だけではないはずだ。

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