● なぜメディアは報道しないのか?
SNSでは、「なぜメディアが報道しないのか?」という正義感に満ちた問いが頻繁に見受けられる。しかし、その答えは単純である。
1. メディアがその情報を知らない
2. メジャー読者層が興味を持たない
3. 報道方針に沿わない
4. スポンサーや国家との利益相反がある
5. メディアには「報道しない自由」がある
このように、メディアが何を報道するかは、多様な要因によって決まる。にもかかわらず、メディアに「中立性」を求め、神聖視するのは、批判的思考を欠いた国民の幼稚性の表れである。報道は客観的な事実ではなく、あくまで「編集された情報」に過ぎない。それを理解せず、メディアに純粋な公平性を期待するのは、幻想にすぎないのだ。

● トランプが「文化大革命2.0」を終結させる
トランプを批判する者のほとんどは、まるで「紅衛兵」のような過激な集団と化している。彼らの言動は、米欧発の「文化大革命2.0」そのものだ。だが、2025年、トランプの再登場によってこの混乱は終焉を迎え、世界は正常化へと向かう。
「民主主義を否定する」国家論として知られる「暗黒啓蒙(Dark Enlightenment)」が、テクノロジー界の有力者たちに浸透しつつある。その代表的人物が、ブロガーで思想家のカーティス・ヤービン氏だ。彼は「大統領はCEOのような君主として振る舞うべき」と主張するが、その考え方はイーロン・マスク氏の台頭や、官僚機構の改革に乗り出すトランプの動きと重なっている。
今や、民主主義の幻想を信じる時代は終わりつつある。「民主主義なんてダサい」——そういう時代なのだ。
トランプの掲げる方針は、あまりにも常識的である。
✓ 国家は国益第一。
✓ 他国の援助よりも、まず自国の安定と平和。
✓ 人権を含め、自国民の権利は他国民を上回る。
✓ 国際政治に善悪は存在しない。
✓ 無駄遣いをしない、倹約第一。
✓ 代理戦争をしない、平和第一。
✓ 世には男性と女性、2つの性だけがある。
✓ イデオロギーに振り回されない。
これこそが、本来あるべき「当たり前の世の中」ではないだろうか。2025年、世界はその折り返し地点を迎え、トランプとともに正常化へと進む。
● 中国は立派な民主主義国家
民主主義を単なる「投票制」と捉えるのは、あまりにも短絡的である。投票制は形式的な民主主義にすぎず、実質的な民主主義とは別の次元の概念である。例えば、中国やシンガポールは投票による政権交代を基本としないが、国民の生活や国家の安定を最優先する統治を行っており、それこそが実質的な民主主義の本質ではないか。
台湾の歴史を振り返れば、その違いが顕著に表れている。蒋介石・蒋経国の統治下で台湾は高度経済成長を遂げたが、李登輝が米国式の「民主主義」を導入して以降、台湾は長期的な衰退の道をたどっている。果たして、形式だけの民主主義が、本当に民衆の幸福につながるのか。
中国を民主主義国家だとする考えには、多くの人が違和感を覚えるかもしれない。しかし、中国の歴史を通底する政治思想を見れば、そこには「民意を反映する統治」という確固たる原則がある。中国における「革命」とは、天が命を革(あらた)めるという思想に基づく。皇帝は「天」によって指名されるが、その権力は永続的ではなく、天が「統治者にふさわしくない」と判断すれば交代させられる。この「天」が象徴するのは、まさしく民衆である。
中国史を振り返ると、民衆に尽くす権力者は支持され、民衆を苦しめる権力者は排除されてきた。宮廷内でどれほど権力闘争が繰り広げられようと、民衆の暮らしが安定していれば統治は維持される。しかし、民衆の生活が窮地に陥れば、どんな強大な権力者も必ず淘汰される。これは、ヨーロッパの啓蒙思想家が唱えた民主主義とは異なるが、5000年の中華文明の中で確立された「実質的な民主主義」である。
ヨーロッパ型の民主主義は、しばしば「普遍的な価値」として押し付けられるが、それは単なる地域的なモデルに過ぎない。中国の民主主義は、それとは異なる洗練された形態を持つ。エレガントであり、スマートである。しかし、その「エレガントさ」には、権力闘争、戦争、殺戮が含まれる。それでもなお、中国の民衆は「天」としての力を持ち続け、統治者の正統性を左右する。
結局のところ、民主主義とは何か。それは単なる投票の有無ではなく、民衆が統治の方向性を決定し、権力をコントロールできるかどうかである。表面的な選挙制度に囚われるのではなく、本質的な民主主義を見極めるべきである。




