被告となった私、法律の世界にこうして入った

 ちょうど9年前の2004年、私は法律の素人として法律の道を選んだ。

 発端は、98年私が上海駐在中に、見覚えもない某民事巨額訴訟で被告になったことであった。当時、某大手有名法律事務所の中国人弁護士に依頼し、最終的に確固たる証拠で私は完全勝訴になったものの、その訴訟で惨めな被害者になった。

 被告となった私は財産保全を申し立てられ、パスポートまでそのまま中国の裁判所に半年近く差し押さえられた。そのため、私生活はもちろんのこと、仕事にも多大な影響が出た。海外出張だけでなく中国国内出張でも航空機の搭乗もホテルの宿泊もできず、業務遂行は中止となった。会社にも顧客にも多大な迷惑をかけ、莫大な損害を出してしまった。

 後から知ったのだが、原告が被告に財産保全を申し立てた場合、相当金額の保証金を提供しなければならないことである。それは原告が敗訴した場合、勝手に被告の財産保全をして被告の財産を差し押さえ、被告に損害を与えたときの補てんに充てるための保証金である。

 まさに、私のケースである。総額2700万円相当の巨額訴訟で、なぜか原告が一銭も保証金を入れていない。被告の私が完全勝訴したあとも、訴訟期間中に被った損害は何ら補償もされずじまいだった。

 私が依頼した有名法律事務所の弁護士は、民事訴訟の基本である財産保全の知識も持っていなかったのか、それとも何らかの理由で知らんぷりしていたのか、知る術がなかった。私はこの事件で中国の司法や法律業界に信頼を失った。もしこれから、もう一回中国で仕事をするのなら、私は絶対に自分で法律を勉強してプロになってやるとその時密かに決意したのだった。

 それが2004年、私が中国で起業してひと段落落ち着いたとき、復旦大学法学院の扉を叩いた経緯だった。

 理工出身の私は、まったくの法律素人だった。復旦の入試問題はあまりにも難しすぎた。白紙を出してはならない。とにかく何か書こうと、一生懸命書いてみた。回答になっていないような回答もたくさんあった。

 面接の時だった。「君は法律のこと全然知らないね、筆記試験で書いた回答は素人的ですが、法律人として一生懸命主張する意気込みは凄いなあ」と面接の担当教授に言われ、奇跡の合格を得た。

 そこで私の法律人生が始まった。法律の基礎を知らない私はいきなり、法学修士課程を勉強するには無理があった。修士課程を履修しながら、4年制本科の基礎科目も取って勉強した。ビジネスの時間を削ってでも昼も夜も異色の年長学生としてキャンパスに通った。

 あれ以来9年経った。ようやく今日法学博士証書を手にした。祝いの酒をちびり、ちびりと口にしながらふと気が付いたら涙があふれていた。

 もう自分を守るためだけではない。他人を守るため、クライアントを守るために私はこれからも全力挙げて職務を全うしていき、法と正義、常に念頭に置き社会に貢献していくことを改めて自覚し、身が引き締まる思いである。

 9年間、私を支えてくださったクライアント、会社の社員、そして家族に心から感謝する。