中国から撤退しないで中国で勝ち続ける企業

 私のマレーシア移住について、読者から面白い質問があったので、少々長文になるが回答させていただく。

 マレーシア移住を決定した2012年2月から1年8か月、移住が実現した。2013年10月8日からここ、クアラルンプールでの生活を始めた。

 この1年8か月の経過をいくら濃縮しても、語るには2~3日はかかる。ある結論に至った背景や経緯、ロジックの整理を飛ばし、いきなり結論を見せたとき、いささか唐突に感じられることだろう。といっても公開ブログという性質的な問題もあっての話だが、「全容解明」に至らないことをご了承いただきたい。

 まず冒頭に触れておきたいが、私立花の生き方はむしろ、マイノリティ、いやもしかすると、レア・マイノリティの部類に入るのではないかと思う。「あなたは嫌いです」と、相手の目を見つめて言える人はそう多くないし、「貴方の方針は弊社の理念に反するので、取引を中止させてもらう」と、顧客に面と向かって言える経営者もそう多くないだろう。

 心臓に毛が生えている怪物と言われても、私は甘受するほかない(甘受したいと思っている)。私はマジョリティと同じ状況に置かれることに不安と恐怖を感じることもしばしばあり、周りとの相対比較を排除し、常に自分の原理原則と価値観との絶対比較に徹しているのである。

 というような、マジョリティから見ていかにも怪奇な人物がある結論を提示したとき、マジョリティに納得されることが少ないのもごく自然な出来事であろう。逆に、私の思考回路を完全に理解、把握した方(顧客の中も友人の中も多い)であれば、なるほどを連発する場面も珍しくない。

 私のマレーシア移住の大きな原因の一つは、「職住分離」である。中国の仕事はそのまま続けるが、住む場所を変えるということである。個人的には、精神衛生上メンタルケア的な措置である。仕事上では、日本のことは、日本を離れて初めて気付くことがたくさんあったのと同じように、中国も離れ距離を置いてみて新たな発見が生まれるだろうし、それを生かし仕事に取り組めるという派生的なメリットも大きいだろう。

 長期的には東南アジアの面白さも否定できない。1990年初期、私が中国赴任した当時、中国はまったく人気がなかった。会社が年俸1000万円単位にハードシップ手当を上乗せするほどの好条件で、日経新聞に求人広告を打ってもパラパラとしか人が集まらなかった(私は応募し、未経験者でも採用を勝ち取ってしまった)。それが20年後の中国を見ると外国企業や外国人が殺到しているほどの状況になった。

 人が集まる場所にリスクが増幅する。そのリスクは往々にしてあまり意識されないのである。日中間の問題、今回こそ1年以上長引いたが、それでも起伏があっても徐々に好転するだろう。回復すれば傷の痛みを忘れてしまうのが人間である。しかし、中国の本当の問題は果たして日中関係にあるのか?

 「負けて、中国を去る」。読者の指摘は日本企業の常識だが、私の非常識である。いや、それも一つの選択肢なのかもしれないが、決して最善ではない。香港のスーパー富豪で、世界的な華人資産家として知られる李嘉誠氏がここ1年、中国関連の資産を次々と売却し、撤退している。そして、中国の有名企業家は次々と外国籍を取得し、資産を海外に移転させている。

 「中国に未練があるか」。私よりも、このような人たちに聞いた方がより明確な回答が返ってくるだろう。私がセミナーで常に語っていることになるが、人間は、「心の拠り所」「身の拠り所」と「金の拠り所」を別々にするのが、最大なリスク管理だ。――卵は一つのバスケットに入れるな。

 そして、最後に、「中国から撤退しないで、中国で勝ち続ける」。これは私自身だけでなく、顧客企業に対するコミットメントでもある。仮に日中戦争になっても、中国で運営し利益を出し続ける日本企業、これこそが真の企業である。そのような会社が1社でも2社でも中国でサバイバルする以上、エリス・コンサルティングは決して中国撤退しない。私はクアラルンプールから、中国に通い続ける。