日本人ぼったくり被害急増、社会大学への学費と思え

 2015年1月13日付朝日新聞記事「お茶1杯『96万円』 上海で日本人ぼったくり被害急増」

 この手のぼったくり被害、未だにあると思ったら、2014年は5年前の4倍以上に急増したと。何事じゃ・・・。そもそも、来ちゃいけない日本人が湧いてきたせいじゃなかろうか。猫も杓子も上海にいけば活路ありと思っている人もいるだろうが、ご愁傷様でございます。ゲームオーバー。といっても、上海に限った話ではない。最低の自己防衛力を付けてもらわないと、仕事でも同じように問題を起こす。

 「日本語ができる外国人」。好感よりもまずは警戒心。外国の路上で日本語で話しかけてくる人はすべて悪い人ではないが、なぜか私の場合、まずは警戒心を持ってしまう。ただ絵葉書を売りたいだけという人もいれば、ぼったくりを企んでいる輩もいるだろう。まず、日本人を狙って「金儲けしたい」ということは間違いなし。そこで普通のビジネスか悪徳商売かの問題になる。

 旅先や出張先では、非日常的な気分になることは分かるが、そうした心の隙間を狙っているプロは今日も街頭で調子よく日本語を駆使している。

 それから、やたら領事館に迷惑をかけるな、税金を無駄遣いするな。在外邦人の保護は、大使館や領事館の仕事ではあるが、基本的に自助努力によって解決できない事故や事件対象である。スケベ心でついつい騙され、ぼったくれに遭遇したところ、自力で警察にでも被害届を出して、できるなら金を取り返せばよい。さもなければ、泣き寝入りして社会大学に高額学費を払ったと思いなさい。

コメント: 日本人ぼったくり被害急増、社会大学への学費と思え

  1. 力による戦いが許されない弱肉競争とは何か。それは不公正競争に他なりません。力による戦いを許さないならば、弱肉強食のない社会でなければならないと思います。

    偽りの弱肉強食を是認するということは、不公正競争に加担することではないでしょうか。強者による弱者に対する永遠の搾取を許容することではないでしょうか。

    冨と知識には高い安定性と蓄積性があります。力というのは強者が持つにせよ、弱者が持つにせよ、大きな不安定要素といえます。盆をひっくり返してしまう力があると言えます。それが公平な状態を生み出すことになります。

    力の行使を法によって抑えるというのならば、富と知識の行使もまた、モラルによって抑えられなければならないのではと考えます。冨と知識のみの弱肉強食という不公平は長くは続かないのではないでしょうか?

    1.  「弱肉強食のない社会でなければならない」というテーマの研究には、申し訳ありませんが、私は全く興味がありません。いわゆる弱肉強食の真偽を議論することにも興味がありません。弱肉強食というのは、是認するかしないかの問題ではなく、この世から消滅しない客観的現実だと考えているからです。私は仕事柄も、弱肉強食の社会でサバイバルして勝っていく方法を考えることに集中、専念していますので、ご期待される議論も方法論の提示もできません。このブログも、この現状を踏まえて書いていくと思います。申し訳ありません。

  2. ぼったくり。これもある種の弱肉強食ですね。

    立花先生は弱肉強食をやむ得ないものだとし、是認しておられます。

    しかし、立花先生のおっしゃられる弱肉強食は実は本当の弱肉強食ではないように思えます。

    強者と弱者を構成するものに、冨、知識、力、(あと家柄?)があります。他にもあるかもしれませんが。

    これらは、ある意味じゃんけんのグー、チョキ、パーで成り立っていると言えます。冨、知識、力のうち、どれか一つを禁じ手とするならば、不公平な競争となります。

    強者が冨と知識を独占したとき、弱者が逆転を仕掛けられるのは力です。しかし、立花先生は恐らく力による逆転は容認なされていません。それでいて、弱肉強食を容認なさっている。これは大きな矛盾です。

    弱肉強食が本当に人間の生き方として許されるものならば、力による戦いも許されるということになります。現在ISISを代表とするテログループに身を投じたり、秋葉原事件や通り魔殺人事件を起こしたりする若者がいるのは、まさに世の大人たちが弱肉強食を是認した結果引き起こされたモラルの破壊が原因なのではないでしょうか?

    1.  ぼったくりは内容によって詐欺であって犯罪です。テロも犯罪です。「弱肉強食が許されるものならば、力による戦いも許されることになる」というご提示のロジックは、法の存在を排除すれば、成立します。中国共産党はそのロジックで農民や労働者の蜂起から最終的に政権まで奪取したわけです。思想や信条として、存在しえます。それから、「冨、知識、力、家柄」といったものがもし強弱構成の要素だと考えるのであれば、倫理面の挙動を別として、法に触れなければ、問題になるとは思いません。

       繰り返します。弱肉強食というのは、是認するかしないかの問題ではありません。この世から消滅しない客観的現実です。それが消滅しないものであれば、いかに弱肉強食の社会でサバイバルするかを考えて、行動したほうが現実的だと思っています。死と同じです。是認しようとしなかろうと、それが自然界のメカニズムで不可避の客観的事実です。死があるから、有意義の生を求めるのです。

Comments are closed.