小粒でありながら強く生き続けよ、リー・クアンユー氏を偲ぶ

 とても悲しい朝。私がもっとも尊敬する政治家、そして実務家であるシンガポール建国の父、リー・クアンユー氏が今朝この世を去った。

 独立といっても、事実上マレーシア連邦から追放されたシンガポールであった。貧困や脆弱のどん底にある後進国を世界に誇る先進国に造り上げた偉大な華人政治家、まさに建国の父。ある意味で孫文のような系統化されたイデオロギーが表に現れることはなかったが、シンガポールの歴史を見ればその根底にリー思想が脈々と流れていることは分かる。

 冷酷といわれることもあるくらい、徹底的な能力主義と合理主義。これは何を隠そう、私自身もリー氏に多く学び、また日々の企業経営コンサル現場でも、貫かれた不変の原理原則になっている。リー氏のやり方と違うところがあるならば、それは敗者復活戦のルールがいくつか追加されているくらいだ。

 国民や国家全体の強靭度の向上は、繁栄に欠かせない条件である。歴史に仮説がないというが、もしシンガポールがマレーシア連邦から排除されることがなかったら、いまはどうなっているのだろうか。もしかすると、シンガポールはマレーシアの第二都市として、クアラルンプールの後塵を拝して兄貴分に頭も上がらないという状況になっていたのかもしれない。

 勝手にやりあがれ、そのうち滅びるだろうと見下され、排除されたシンガポールは逆転した。力強い逆転を遂げたのだった。まさにそのどん底、いや地獄が成長や発展のパワーになり、パラドックス的な結果に導いたのは間違いなく、リー・クアンユー氏であった。

 その歴史はいまのマレーシアにとって、ある意味で一種のトラウマで、また妬みや時には怨みといった感情も複雑に交差しているように思える。にもかかわらずシンガポールは偉大な都市国家として繁栄をし続けた。

 リー氏はまた愛国精神に満ちた政治家であった。国民にも愛国心の育成には余念がなかった。私は生涯接してきた数々のシンガポール人の友人からは、彼たちの強い愛国心を感じずにいられない。「シンガポールは小さな国ですが、余所が我々の国をいじめたら、私は銃を握ってもいい」、企業エリートの友人の口から飛び出した言葉、私は信じられなかった。

 数年前、たまたま建国記念日にシンガポールに滞在した経験がある。都心部、金融街上空を轟音とともに通過する戦闘機の編隊を見上げて拍手を送るシンガポール市民を見て、私は目頭が熱くなった。

 小粒でありながらも強く生きる。そんなシンガポールに日本人は学ぶことはないだろうか。

 安らかに眠れ、R.I.P.,Sir!