トランプ氏人気の裏、感性が理性に勝つシープル国民時代

 米大統領選挙、トランプ氏の健闘は誰もが想像しなかったことだ。大衆煽動といわれても、大衆が煽動されてしまえば勝ち。民主主義は理性を担保する制度ではない。

 ある面白い、逆説的な現象だが、億万長者のトランプ氏はなぜか労働者、特に低学歴の労働者の味方についている。理性的な外交政策や経済政策を、失業や低賃金で苦しむ底辺の貧困層・労働者に語っても、理解されないし、理解されようとしないからだ。そこで、理性的な政策作りが不得意なトランプ氏にとって、理性よりも感性が有利だ。

 トランプ氏は滅茶苦茶なこと喋りたい放題だ。そう見えても、彼は彼なりの論理性をもっている。実現不能の政策を言ったら政治家にとって命取り。しかし、トランプ氏は一向に気にしない。いや、実現不能だから自信を持って語れるのだ。確信犯的な意図はなかったのだろうか。

 一時的な人気で選挙に勝っても、国家統治はできないだろう。そういわれても、選挙に勝たなければ、国家統治の資格すら得られない。とにかく選挙に勝つことだ。

 政治の世界でも、感性が理性に勝つ時代が到来したのかもしれない。

 20世紀90年代以降、世界規模の格差拡大が進行し、その結果は、数の優位性をもつB層という「シープル大衆国民」の不断の増大である。彼たちの多くは国家統治における理性に興味がなく、あるいは関心をもつ余裕すらない。やがて彼たちがもつ一票に込められる非理性、感性的な成分が増え、国家統治や世界秩序に深刻な影響を与えていくのである。

 時代が大きく、本質的に変わろうとしている。われわれ一人ひとりが生き方を真剣に再考する、そういうときがやってきたのかもしれない。