相対貧困を見る2つの視点、そして「静」と「動」の関係

 昨日の「弱者論」記事に、読者Takayamaさんからコメントが寄せられた。本質を突いた2つの視点を鮮明に示してくれた。全文転載・紹介させてもらう。

 「日本が先進国では米国についで高い相対貧困率を2つの視点で考えてみました。

 <マクロ経済的な視点>
 いままで国内で行われていた生産がグローバルに展開すれば、日本の多くの中産階級の人たちは、例えば中国やインドの人たちと競争しなければいけない。グローバル労働市場はグローバル資本市場とは異なり、参加する労働者の属性クラスを選ぶため、スキルのある労働者とスキルのない労働者で2極化してしまう。

 <行動経済学的な視点>
 人間の心理は損失を同額の利得より強く感じる。つまり同額の損失と利得があった場合、その損失がもたらす『不満足』は同額の利得がもたらす『満足』より大きく感じられる。これを損失回避性と言います。また1回の利得・損失が得られると、その結果が参照点となって、次の利得・損失が評価されやすい。親の世代の豊かさに比べて自分たちの世代が貧しくなっていることを過度に悲観する人たちが多い理由かもしれません。

 結局、自助の精神が大事で、結果は自己責任だと思います」

 基本的に「静」と「動」の関係である。ダイナミックなクローバル市場という「動」に対し、親世代という参照点が「静」のままになっている。そこで、「静」という「あるべき姿」を基準とすれば、「動」がもたらした数多くの「べからず」が不正義として捉えられる。

 「競争」という極めて動態的な事象に善悪の判断をつける意味はない。「台風」や「地震」を悪者扱いしても意味がないのと同じ。誰が何を言おうと、台風や地震がやってくる。競争も消えることはない。それどころか、一層激化していくだろう。

 結果的に、自己責任と自助が唯一の道である。