プラナカンとシンガポール人、文化を超越したイデオロギー

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 プラナカン博物館の見学は、シンガポール滞在中のメイン予定の1つである。
 「プラナカン」とは広義的に、欧米列強による統治下にあったマレー半島や東南アジア地域に、15世紀後半から数世紀にわたって移住してき、現地に根付いた中華系移民の末裔を主に指し、そのほかには小規模ではあるが、インド系プラナカン(チッティー)やユーラシア系プラナカンも網羅している。

丁寧に説明してくれる日本人ガイド

 ただ実際には、中華系華人(「海峡華人(Straits Chinese)」や「土生華人」とも呼ばれる)の中でも、「現地の風習を受け入れたグループ」が典型的な「プラナカン」と呼ばれる傾向があり、さらにシンガポールの場合、現地でうまく商売をやり、出世しエリート富裕層になった人たちの代名詞にもなっていたようだ。

 最近、日本でも盛んに「異文化」との融合が語られている。そこを見ると、どうしても「コミュニケーション」や「情報発信」といった手段が強調され、目立ってしまいがちである。日本の文化は多くの異文化を吸収しながらも、新たな一派となる新種文化を生み出すことはついになかった。
 私は決してこの現象を批判しているわけではない。むしろ日本文化の本質的な純血要素と非融合性を正視すべきではないかと思うのである。日本文化はそもそも「プラナカン」化する遺伝子をもたないようであれば、あらゆる強引な融合要求から生まれるのは毀損や変異にほかならない。
 リー・クアンユー氏自身も、プラナカンの出自と言われながら、本人は終始「プラナカン」という言葉にすら触れようとしなかった。彼は前述の中華系富裕層の色濃い「プラナカン」よりも、より広い普遍性を有する新種融合文化を求めていた。それは「シンガポール人」という概念である。

リー・クアンユー氏がシンガポール初代首相に就任(プラナカン博物館所蔵)

 「プラナカン」のような文化的イングレディエンツは意図的に排除され、「シンガポール人」の根底に沈殿しているのは政治的な無機質さにほかならない。文化を消滅させるのではなく、政治的な上塗りを施すことによって、イデオロギーの形成を狙った老獪さには脱帽だ。

 あらゆる有用かつ優秀な人間を実用主義のもとで収容するシンガポール。あらゆる思想や信条、宗教、文化を超越したイデオロギーが必要だったからだ。これは日本が真似できないところであって、また真似すべきではないところでもある。

 リー・クアンユー氏がかつて日本に「移民を受け入れよ」と助言していた。それは間違っている。ただ彼は一方「私が英語を話せる日本人の若者なら国外移住の道を選ぶ」とも助言していた。これは正しい。

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