南部アフリカ紀行(7)~水と砂、そして生と死の哲理

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 砂丘は美しい。なぜ美しいかというと、色のコントラストが美しい、そして明暗の分かれ目を成す稜線があるから美しいのである。だが、その稜線は決して動かない静的なものでなく、季節や風の向きによって変わるのである。

 「同じ川に2度入ることはできない」。哲学者ヘラクレイトスがいう。水が常に流れているので、2度目に入る川は、1度目の川と同じように水が流れていても、1度目の水ではなくなっている。

 水と比べて砂が固形物でいかにも流動的でないように見えても、こうして時の経過や状況の変化によって、その集合体が無尽のパターンに変化しているのだ。

 デッドフレイ(Dead Vlei)という砂漠と枯れ木の有名な場所がある。もともとオアシスの水が流れていていたところだが、砂丘の動きによって水が遮断されると、木々が死に、枯れ木になる。

 水が意味する生と砂が意味する死の結合は生を意味するのか、それとも死なのか。一般論的にその名称のとおり、「デッドフレイ」となり、「死」としてのステータスが確定するが、私は別の意味を見出そうと必死だった。

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