他者に運命託す、観客裏切る日本チームの勝ち上がり戦略

 攻めは最大の防御なり。

 ――この法則を忘れたのは、日本チームだけではない。日本チームは日本社会、日本という国家の投影に過ぎない。辛うじて他者の運不運に左右されながらの生き方、それが勝者と言えるなら美学の問題だ。

 昨日6月28日に行われたサッカーのワールドカップ(W杯)ロシア大会の日本対ポーランドの試合で、日本がリードされながらも時間稼ぎに徹した姿勢について、英メディアは「恥ずかしい」「ひどい試合だった」と酷評した。

 酷評は当然ながら一理ある。むしろ私はその酷評に賛同する。

 日本チームにとって、勝ち上がるための戦略として一種の手段的な正論なのかもしれない。ただその反面、全力投球を期待して来場した観客にとってみれば一種の「裏切り行為」だ、そういわれても反論が難しいだろう。

 少なくとも、私が言っている美学の次元において、観客の目に映った日本チームは、決して「クールジャパン」とはいえない。

 他者(他の試合)の行方に運命を託す監督の決断は、私個人の価値観や美学に反していることだけは表明しておこう。ブーイングややじは理解できる。ブーイングややじに値する試合だ。そのような日本チームは応援できない。

<次回>

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