海外の日本人詐欺問題、「労せずして得る」意思が招く災い

 海外で日本人が日本人を騙す話は絶えない。同胞なら信用できる。日本人であることや日本語ができることを、信用できるかどうかを判断する根拠や基準とするのは馬鹿馬鹿しすぎる。まったく非論理的な思考だ。

 詐欺という「業種」。なぜ存続できるかというと、騙される人(需要)があっての騙す人(供給)。善悪以前の問題で、ある意味で需要と供給の「市場メカニズム」の関係だ。

 騙されるのは往々にして、大金持ちでもなければ、貧乏人でもない。ちょっとしたお金をもっている人たちだ。大金持ちは情報とリスク管理、自己防衛にもコストをかけているから、並級の詐欺師ならまずアクセスできない。貧乏人は詐欺師にとって圏外だから、これも近づかない。

 詐欺師にも立派なマーケティングが必要だ。セグメンテーションという対象層の細分化作業をまずやる。基本的に「労せずして得る」志向の強い人ほどターゲットにされやすい。さらに詐欺師は、詐欺作業を標準化してコスト削減、成功率アップなどにも取り組んでいる。言ってみれば、詐欺師は「労せずして」ではなく、労して、(不正に)得ているのである。

「得る」ことには、誰もが興味をもつ。ただ、「労せずして得る」ことはあり得ない。

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