失敗しない投資とは?騙されるとかの水掛け論にならないために

 投資や物品購入全般に言えることだが、不動産投資を例にとって、情報の非対称性を説明しよう。

「情報の非対称性」とは、市場における各取引主体が保有する情報に差があるときの、その不均等な情報構造である。「売り手」と「買い手」の間において、「売り手」のみが専門知識と情報を有し、「買い手」はそれを知らないというように、双方で情報と知識の共有ができていない状態のことを指す。情報の非対称性があるとき、一般に市場の失敗が生じパレート効率的な結果が実現できなくなる(『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 不動産の売り手(デベロッパーや仲介業者)と買い手(投資者)が保有する情報に差がある。特に海外不動産の場合、売り手は現地の状況を熟知しているのに対して、買い手は知らない情報がほとんど。そういう状況である。情報を分類すると、以下4種類ある。

 カテゴリー1、過去や現時の楽観的情報(投資に有利な情報)
 カテゴリー2、過去や現時の悲観的情報(投資に不利な情報)
 カテゴリー3、将来の予測や仮説としての楽観的情報
 カテゴリー4、将来の予測や仮説としての悲観的情報

 売り手は商品を売るために、まずカテゴリー1とカテゴリー3のあらゆる情報を集めて買い手に開示する。カテゴリー2やカテゴリー4の情報をなるべく隠ぺいする。これによって「情報の非対称性」が発生する。いや、実は、中に故意的な隠ぺいではなく、売り手でさえ知らないカテゴリー2や4の情報もある。売り手も全員が情報専門家ではないし、まして確証バイアスがかかる場合もあるからだ。さらにいうと、売り手自身もその上流にある親売り手との間に情報の非対称性問題が横たわっているのかもしれない。

 誤解のないように、カテゴリー2や4の情報は必ずしも悪玉とは限らない。言ってみれば、リスクがあってのリターン。それだけ高いリスク(カテゴリー2や4)があってこその高いリターンという因果関係あるいは相関関係が成立する場面もしばしばある。カテゴリー2と4を否定するのではなく、リスクの事実(カテゴリー2)や仮説(カテゴリー4)としてそれが現実であったり、現実となったりした場合、どう対処するかという論理的かつ実務的な提案が要請される。

 多くの売り手は、カテゴリー2やカテゴリー4の情報開示や仮説を極力回避する傾向があるから、買い手の不信を招いたりする。それも面白いことに、実は完全にそうではない。買い手サイドでさえ、同じリスク情報の回避現象が見られるときもしばしばある。それは買い手側も同様に確証バイアスがかかるからである。そこで売り手も買い手も思惑が一致し、とんとん拍子で投資話が進んでしまうことがある。

 特にカテゴリー4の仮説が重要だ。これは投資の出口にかかわっているからだ。今日はそれで良かったが、明日状況が豹変したりする可能性もある。特に政局不安定な国だったり、民主主義的な法治国家になっていない国だったりすると、そうしたリスクが増大する。

 投資視察ツアーたるものは、大体カテゴリー1や3しか見せてくれないので、大した意味はない。逆にカテゴリー2や4もしっかり開示し、しっかりと論理的かつ実務的な対策を提示してくれる業者は、とても良心的な業者といえる。彼らは商売が吹っ飛ぶ覚悟のうえで、投資家に不利なリスク情報を自ら開示してくれるからだ。ただそこで、軽いリスク情報だけにとどめ、本質的なリスク情報を回避する場面もあるから、要注意だ。

 将来のことは現時点で検証できない。いざそうなってみないと分からない。「そうなる」とか「そうならない」とかそうした議論は水掛け論で無意味だ。大事なのは、そうなった(リスクが発生した)場合、どうするかということだ。

「情報の非対称性」を最大限に克服し、正負両方の情報、現時だけでなく将来の仮説も含め、全面的なリスク管理策を講じた時点で、投資家はそのリスクに耐え得る能力と意志があるかないかで、投資の是非を最終的に判断し、意思決定する。

 投資で損した人はよく「騙された」とかいうが、もちろん意図的な詐欺もあるけれど、「情報の非対称性」に由来する不幸な結末が大半ではないかと思われる。故に、誰かを信用するとかそういう話よりも、論理的かつ理性的に判断したうえですべて投資者の自己責任とするのが投資の流儀である。失敗してもいい。夢をもったことで楽しかった。それも投資流儀の1つである。

「失敗しない投資」とはどんな投資か。それは失敗を想定し、失敗に備え、失敗しても構わないという投資である。

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