【Wedge】中国人に乗っ取られた極北のレストラン~大氷河・美食・氷山・白夜観察のグリーンランド旅行記

 北極圏、世界最大の島でもあるグリーンランド。年間の日本人旅行者はわずか200~400名。昨夏、私は一生に一度は行かなければと決意し、飛行機に乗り込んだ。

● 大氷河の静寂

 私が住んでいるクアラルンプールからは、タイ国際航空のバンコク経由便でまずコペンハーゲンに立ち寄り、そこからはアイスランド航空に乗り換え、アイスランドの首都レイキャヴィークに入る。前々から北欧の高い労働生産性に興味があって、視察と研究に取り組んできた。ノルウェーとフィンランドに続き、今回は8日間の短い日程でデンマークとアイスランドの2カ国を回った。

 アイスランドから、その先は北極圏のグリーンランドを目指す。早朝6時40分。レイキャヴィーク発のグリーンランド航空GL717便で、イルリサットへ向かう。使用機材は、デ・ハビランド・カナダDHC-8の双発ターボプロップ旅客機。30席強の小型機だが、搭乗客の半分以上は中国人観光客。

 現地時間6時30分頃、グリーンランドの東海岸線にさしかかると、いきなり3000メートル級の山々が視界に入る。8時、定刻よりやや遅れて、機体がグリーンランドのイルリサット空港に着陸。空港というよりも、小さすぎてバス停のような施設である。

イルリサット空港に到着(写真:筆者提供)

 北極圏、グリーンランドの大氷河。世界遺産イルリサット・アイスフィヨルド(Ilulissat Icefjord)の外観を全貌的に見るには、ヘリコプターかトレッキングしかない。楽なのは、ヘリコプターだが、ただあのエンジン音で氷河の静寂が抹殺されてしまうので、まずは選択肢から外された。

 トレッキングだ。私の一番不得意な山歩きしかない。イルリサットの街から少々外れた郊外に、赤と黄色と青の3つのトレッキング・コース(地図上の表示)がある。歩く距離にしては、赤が短、黄が中、青が長になっている。赤コースは短すぎて物足りなさが残りそうだ。青コースは一部ウッドデッキが敷かれており歩きやすいが、後半は単調な景色になってしまい、また所要時間が長すぎるのもネックだった。そこで消去法的に残された選択肢は黄色コース。

「絶景」という言葉をいままで如何に無節操に濫用してきたか、イルリサット・アイスフィヨルドを眼前にして痛いほど思い知らされる。地球の最北に、大自然が見せつけてくれるその偉大さ。言葉も出ない。

イルリサット・アイスフィヨルド(写真:筆者提供)

 風の流れる音が一瞬止むと、地球という星に存在する本来の静寂が空間のすべてを占領し、「無」を意識させる。人工的な要素がすべて排除されたとき、人間の心は原初的な状態に戻る。その瞬間に生まれる思考停止は、あらゆる感情や本能や観念を奪い去る。この瞬間を体験するために、最北の地にやってきたのだ。人間と自然の対話など到底あり得ないことを思い知らされる瞬間でもあった。畏怖の念しか持ち得ない。

 トレッキング中には時々、このような放心状態の時間を楽しみながら、先へ進んでいく。黄色コースは所々難所があってきつい。道らしい道がなく、足元は常に岩場。アップダウンの激しい岩山を2つほど越えると、かなり体力を消耗していた。外気温度は摂氏10度程度だが、シャツ姿でちょうど心地よい。

 2時間半ほどかけてコースを踏破。途中で出会うのは少数の白人以外にすべて中国人ツアー客。この時代はイルリサットまで中国人が浸透しているのである。

 イルリサット・アイスフィヨルドはどのような世界遺産なのか、まずは世界遺産登録基準を引用すると分かりやすい――。

“(7) ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの。(8) 地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの。これには生物の記録、地形の発達における重要な地学的進行過程、重要な地形的特性、自然地理的特性などが含まれる”

 グリーンランドの約80%以上が北極圏の氷床と万年雪に覆われている氷の世界であり、まさにアイスランドよりも、本物の「アイスランド」である。「イルリサット」という街の名前も、グリーンランド語では「氷塊」を意味する。北半球で最も多くの氷山が生まれるフィヨルドとして知られている。

“イルリサットの氷河は1日あたり20~35mも流動し、年間200億トンの氷の流量がある。氷河より海に流出した氷塊は、砕けて様々な大きさの氷山となるが、氷山のサイズによっては浅海底に接触しその場に留まるものもある。外海に流出した氷山は、海流により一時北方向に運ばれた後に南へ方向を転じ、大西洋へ流出する”(ウィキペディアより引用)

 さらにいうと、あのタイタニック号と衝突し、豪華客船を沈没させた氷山も、ここから大西洋へ流出したものだったと言われている。

● 北極圏に住む日本人と鯨料理

 北極圏のグリーンランドには、たった3人の日本人が住んでいる。私は偶然の機会で、そのうちの1人に出会った。

 イルリサットの街で昼食を取ろうと入ったレストラン「イヌイット・カフェ(Inuit Cafe)」。笑顔で迎えてくれたのはなんと日本人だった。まったく予想もしなかった出来事、思わず記念写真の撮影を求めた。

グリーンランドに住む日本人ヨウコさんと筆者(写真:筆者提供)

 ヨウコさんはデンマーク本土住まいだったが、数年前からグリーンランドに移住し、いまはイルリサットの街で働き、暮らしている。それにしてもグリーンランドにやってくる日本人旅行者、特に私のような個人旅行者もまた珍しいと、ヨウコさんも驚いた。

 日本人客とわかると、すぐに鯨料理を薦められた。鯨ステーキにご飯を添えてくれるのがあり難い。もうパン食の連続で、ご飯への恋しさが募るところだった。鯨肉の味もまた素晴らしく、ソースをご飯にかけて頬張った。

鯨料理(写真:筆者提供)

 北極圏のグリーンランドでの捕鯨は、「原住民生存捕鯨」として一定の捕鯨が国際捕鯨委員会(IWC)に認められているようだ。後日談になるが、ちょうど数日前、日本政府が商業捕鯨を再開するためIWCを脱退する方針を固めたと報じられた。この辺は文化や価値観の相違で世界で論戦を繰り広げても収束ができないだろう。私はグローバリゼーションは一種の理想あるいは幻想だと思っている。過剰なルールの一元化を求めることが、かえって色々な紛争を生み出す原因の1つにもなっている。

 グリーンランドを訪れる日本人旅行者は年間僅か400名未満。デンマーク政府の統計によれば、2014年には393人だったという。日本ではグリーンランドの知名度が低いうえ、飛行時間が長く、旅費もかさむなどの阻害要因が挙げられている。

 ヨウコさんによると、最近日本のTV番組がグリーンランドの題材を取り上げ始め、彼女自身も現地で取材の協力を引き受けていた。さらに、大手旅行会社も宣伝を強化しているところで、日本人旅行客数が少しずつ増えるようになったという。それでも、ツアー客がほとんどで、私のような個人旅行者は年間数十名いるかいないかの状態だった。

● 北極圏の美食

 グリーンランドは、世界最大の島として美食の宝庫である。その筆頭にあがるのが、ズワイガニ。現地では、雪や氷の極寒海域に生息している故に「Snow Crab」という英名が使われている。まさにその通りだ。

 漁獲後船上で瞬間冷凍して船凍品として日本にも輸出しているが、やはり現地で水揚げしてレストランへ直送するものに勝てるものはない。身の甘み(極甘)と、ほどよく繊維を感じる食感がたまらない。持参した醤油とわさびだが、醤油は無用でわさびを少しだけつけていただく。

グリーンランドで食べるズワイガニ(写真:筆者提供)

 ただ不満がある。日本では片方の肩と脚をまとめた半身で販売されることが多いが、グリーンランド現地の場合、脚だけが供されており、甲羅どころか身がついてこないのだ。残念だ。さらに贅沢を言わせてもらうと、旨味や香りを強化する炭火焼のものも出してほしかった。

 魚の部では、なんといっても、オヒョウだ。形状や生態はカレイに似ていて、1mを超える巨大カレイといったところだが、体が大きくても決して大味ではない。ソース仕立てもいいが、これも贅沢を言ってしまえば、刺身や煮付、あるいは唐揚が食べたい。

ソース仕立てのオヒョウ(写真:筆者提供)

 肉の部だと、ラム肉はアイスランド同様、申し分なし。肉質は柔らかくて臭みがまったくない。肉汁がしっかりソースに溶け込んでいるので、パンにソースをたっぷりつけて食べるのが最高。さらに、グリーンランド産のジャコウウシも素晴らしい。ただ焼き加減はレアと注文したのに、出てきたのはミディアムに近いミディアムレアだったのが残念。ブルーレアで注文すればよかったと後悔した。と、いろいろ贅沢な文句も言っているが、グリーンランドの美食三昧には大満足。

 私の場合、食べることが好きで、旅に出る前に事前調査で食べたい食材や料理をリストアップするようにしている。今回、北極圏のグリーンランドでの食リストに上がっている食材品目は、以下の通りである――。

 ズワイガニ、ジャコウウシ、オヒョウ、トナカイ、北極野ウサギ、ライチョウ、オオカミウオ(狼魚)、ウニ、レッドフィッシュと並んでいる。

● 爆旅、地の果てに浸透する中国人観光客

 しかし、その多くが食べられなかった。主因は、宿泊ホテルであるアークティック(Hotel Arctic)のレストランにあった。ホテル・アークティックのメインダイニング「Restaurant Ulo」のレギュラーメニューを事前確認したところで、上記食材のほとんどが扱われていることで、安心していた。

ホテル・アークティックの客室から氷河がみえる(写真:筆者提供)

 ところが、チェックインすると、悪いニュースを知らされた――。滞在中の2泊は、「Restaurant Ulo」は中国人団体ツアー客による貸切のため、一般営業を中止するとのこと。青天の霹靂。予約満席なら時間帯をずらすとか、なんとか懇願して入れてもらう手立てがあったかもしれないが、貸し切りだとなす術がない。ルームサービスやカフェで注文を取り寄せることも打診したが、ダメだった。両日ともレストランの厨房は団体の貸切ブッフェしか用意できない。

 運がよほど悪かった。と思ったら、そうではないようだ。イルリサット一番の高級ホテル、アークティックはとうに中国人団体ツアー客に「乗っ取られた」ことは、現地で誰もが知っていることだった。そこまで事前調査ができていなかった私自身の責任にほかならない。ホテルの入口に掲示されている総支配人の挨拶文をみてもわかる。英語と中国語がメイン言語として真ん中に併載されている。両側に欧州各国語があっても、日本語はない。

ホテルの入口にある中国語の挨拶文(写真:筆者提供)

 爆買の次は爆旅。その爆旅先ももはやパリやロンドンにとどまらず、北極圏、地の果てまで浸透してきているのだ。ホテルとしては、金を落としてくれる中国人客を優先させるのも当然で、その経営方針は非難されるべきではない。商業的観点からすれば、むしろ正しい経営判断なのだと私は思う。

 嗚呼。私の美食夢が無残に打ち破られた。夕食の時間帯、ホテルのメインダイニングは、中国人専用となり、他の客は小さなカフェに追いやられ、限られたメニューから選ばざるを得なかった。

 まあ、食事にありつけただけでも幸運だった。

● 光と熱は共存しない

 イルリサットの家々は、カラフルだ。北極圏、暗くて灰色のイメージがある。長い冬と極寒、陰鬱な日々が続く中、視覚や気分を明るくしてくれるのがこの鮮やかな街並みである。

カラフルな家々(写真:筆者提供)

 そして短い夏には、白夜が訪れる。ミッドナイトサンといって、真夜中の太陽が極北の地を照らし、生命力の回復を謳歌しようとする。けれど、その太陽の光はなぜか切なく、冷たさすら感じさせるのである。暖かさを与える前に、白夜の太陽はまず寒さと戦わなければならないからだ。光と熱は必ずしも共存しない。白夜はある意味でその相反関係と営みを示唆するものだ。

 人生には漆黒の闇がしばらく続くと、幻想的な白夜が訪れることがある。それが暖かさを伴わない明るさだったりする。タンゴのように情熱的なリズムに合わせて一縷の切なさが妖艶に踊る。そんな感じがした。

 青春、朱夏、白秋、玄冬。人生は一度限りの四季に喩えられつつも、角度を変えてみれば、光と闇の移り変わりとも見て取れる。人生は苦痛の連続だ。故に裏返せば、何をすればよいかを考え抜くのが人生なのだ。闇にただひたすら堪えるよりも、そこで心の白夜を自ら作り出すことがニーチェが言う積極的・能動的ニヒリズムではないか。白夜の太陽は幻想的で弱々しくも冷たい。だが、少なくとも漆黒の闇よりはマシだろう。光さえあれば、カラフルな色彩も意味を持ち始める。積極的な人生とは意味を作り出すものだ。

● 氷山の一角と氷山の転覆

 グリーンランド西岸イルリサットの海から北上する船旅に出る。前夜から天気が崩れ出し、当日はあいにくの雨天。

「皆さんは幸運です。これがグリーンランドの本来の姿ですから」。ツアーガイドのティナーさんがやや興奮気味に語る。商売上のパフォーマンスなのかもしれないが、嘘ではなかった。

 船は出港してエキ氷河(Eqi Glacier)を目指して一路北上する。低く垂れ込めた厚い灰色の雲をバックに海がやや荒れ気味。海面に浮かぶ氷山は冷たい青灰色を呈し、怪しい透明感を帯びている。いや、「海面に浮かぶ」という表現は、単なる私の視覚による直観的な反映にすぎない。まさに、「氷山の一角」というだけにその氷山の9割が海面下に不可知の形で存在しているのである。

氷山の一角(写真:筆者提供)

 専門家によると、氷山が氷棚から崩落したとき、周囲の環境と静力学的平衡が機能し、一般には氷山の10分の1が海面の上に残り、残りの10分の9は海面下に沈むという。氷は水面に浮かぶというわれわれの常識、そして肉眼の視覚による直観的写像に基づけば、ついつい「海面に浮かぶ氷山」という論理的誤謬に至る。

 そして、さらなる変化は海面下で起きる。海中では氷山が溶け始める。要するに同じ氷山でも海面上の部分が空気、海面下の部分が海水という異なる外的変動要因をそれぞれ抱えているのだ。そこで、海面下の氷山が徐々に溶け始め、ある時点で全体的バランスが崩れ、氷山の上下が逆さまになるそうだ。

 このいわゆる「氷山の転覆」現象はめったに目撃することができないので、あまり知られていないようだ。「氷山の一角」から本質的な部分に突っ込むと、水面下の変化の進行から最終的に「氷山の転覆」という均衡の崩壊に至る全体像が浮かび上がる。これは哲学的な示唆であり、様々な事物に共通する基本原理として肝に銘じたい。

 昼、船はエキ氷河に到着。船上でランチを取り、1時間半ほどの停泊を経て帰路につく。夕方、イルリサットの小さな港に帰着したとき、小雨がまだ降っていた。

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