要素還元主義の罠、局所の問題をすべて解決すれば全体最適になるか?

 鉄をどんなに小さな塊に分解しても、鉄はあくまでも鉄であり、変わらない。いわゆる「要素還元主義」はこのような無機物に適用しても、有機的である(べき)人や組織には適用しない。

 「要素還元主義」というのは、部分的要素を理解すればシステム全体が理解できる、部分的問題を解決すれば総和的にシステム全体の問題が解決できるという考え方である。

 たとえば近代医療は、ある特定の病原が疾病を起こし、その病原を取り除く「治療」(の積み上げ)によって全体的健康を実現するという思考に基づいている。つまりは局所最適の積み上げによって全体最適を実現するという要素還元主義的な考え方である。結果は周知のように、必ずしもそうならないのである。

 企業という組織の運営も人体に似ている。人材・適材が少ないことから、採用に力を入れ、教育に力を入れる。そこでせっかく育った人材はなぜか離職率が高いことから、今度は賃金制度の見直しだ、待遇の改善だ。いたちごっこ。儲かるのは人材紹介業者や研修トレーニング業者、人事コンサルティング業者だけだ。

 「要素還元主義」が現代社会で猛威を振るっているからこそ、「要素」「要素」をビジネスとする業者がぬくぬくと温存し、糧を得ているわけだ。では、全体的に捉えるなら、「企業戦略」という次元に立脚すればいいのではないか。蓋を開けてみると、企業戦略そのものも一要素に過ぎないことに気づいたりする。

 AIが発達し、日本社会においては終身雇用制度が崩壊しつつあるなか、企業という組織の在り方や存在意義それ自体が問われようとしている。いや、組織にとどまらず、われわれ一人ひとりの人間にいたって、要素還元主義的に局所にフォーカスした問題の提起や解決という手法はどこかで頓挫している。

 古代の哲学者たちを見つめてそもそも論に帰せば、人間とは何か、生きる意味とは何か、といった問いが再登場する。そういう時代になるような予感がする。

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