トルコ(4)~ハレムで見る後宮制度、スルタンと皇帝の大奥

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 9月8日(月)、朝から半日以上かけてトプカプ宮殿を見学する。

140908-1053-Istanbul-Topkapi Palace(トプカプ宮殿)

 トプカプ宮殿は、15世紀中頃から19世紀中頃までオスマン帝国の君主が居住した宮殿。宮殿見学といえば、習慣的に中国の故宮と比べてしまう。トプカプ宮殿は故宮ほど雄大なスケールがないものの、豪華絢爛さでは決して負けていない。

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 なんといっても、構造的に故宮に似て、基本的に公的空間と私的空間から構成されている。特に、あの有名な「ハレム」、後宮の存在はむしろ共通した帝王型といえよう。ただ文化的制度的に、完全に同一なものではない。

140908-1119-Istanbul-Topkapi Palace(トプカプ宮殿)ハレムの女性たちが住む部屋、女性も階級制になっていて上位の女性は向きや見晴らしの良い部屋に住める

 中国の皇帝には、いわゆる「三宮六院」「七十二妃」という後宮が存在する。三宮とは、故宮の内廷にある乾清宮、坤寧宮、交泰殿を指し、六院とは三宮の両側にある東六宮と西六宮をいう。七十二妃とは、正妻にあたる皇后のほか、身分の高い順に皇貴妃、貴妃、貴人、妃、嬪、常住、答応など多数の妾を置いており、人数的にこれだけいるということであろう。

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 では、スルタンというイスラムの君主はどうかというと、イスラム教では4名まで妻をもつことが許されていたこともあり、君主だからといって特権濫用でそのルールを公に破るわけにもいかず、一応は名義上(?)守っているようだ。ただ、ハレムはどんどん拡大され、100以上の部屋を持つ複合施設となった。

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 大量の女性が献上されているわけだが、自国民から選抜するものではなく、戦争捕虜や、貧困家庭からの売却によって奴隷身分となった女性たちが宮廷に配属されたのである。黒人の宦官(これは中国と同じ制度)によって生活を監督されながら歌舞音曲のみならず、礼儀作法や料理、裁縫、さらにアラビア文字の読み書きから詩などの文学に至るまで様々な教養を身につけさせられた後、侍女として皇帝の住まうトプカプ宮殿のハレムに移され、そこで仕事に就くのであった。身分的にはあくまでも「侍女」であるから、中国の皇帝の「三宮六院」「七十二妃」とやや性格が異なる。

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 さらに、同じトプカプ宮殿の反対側に官僚養成学校が設けられ、そこで育成され、スルタンに忠誠を誓った優秀な人材は高官ないし大臣に抜擢、登用される。そうした官僚に、スルタンはハレムで教育を受けて晴れて卒業した女性を妻として与えることもしばしばあったという。

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140908-1238-Istanbul-Topkapi Palace(トプカプ宮殿)_01天井や壁を埋め尽くすタイル、どれも緻密模様が施されている

 女性のハレム教育と男性のエリート教育、そしてその結合を君主の権力によって実現させ、君主に対する忠誠心をさらに向上させる。民主主義不在の時代ではこれも見事な統治戦略だったのであろう。

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