● 自民党は内敵
前衆議院議員安藤裕氏がこう言っている。「(日本)共産党がいくら良いことを言っても、共産党が言っているのだから、保守のみんなが排除してしまう」「今は自民党が左に行ってしまったので、むしろ共産党が入れ替わりに保守の位置に入ったのだ」。全くその通りだ。
「誰が言っているか」の「誰」ではなく、「何を言っているか」の「何」が重要だ。「誰」という色付けられた「人」の符号に脊髄反射しても、「何」という「事」を分析する力を持たないのは、昨今の似非保守、頓馬たちである。
昨今の米系SNSでは、中国やロシア関係のニュースソースには、「中国/ロシア政府の管理下にあるメディア 」とわざわざ注意書きを入れるのも、「中国やロシア政府を信用するな」という「誰」にフォーカスしたメッセージである。中国やロシア政府という「誰」よりも、彼らが「何」を言っているかという「事」がはるかに重要ではないだろうか。あえて言うなら、「ユダヤ資本管理下にあるメディア」類の注意書きがあってもいいのではないかと。
トランプが直近『タイム』誌が行った独占インタビュー後の電話会見でこう語った。「わが国にとって、多くの場合、中国やロシアなどの外敵よりも、内敵の方がはるかに危険だと思う」。日本も同じだ。内敵が最も危険だ。それは決して日本共産党ではないはずだ。日本最大の内敵は自民党と、自民党にものを言えない「凡庸な悪」である。
ジャーナリスト山口敬之氏が暴露する「岸田・バイデン密約」。岸田はもはや売国奴のクズ。米国によるウクライナ追加支援の610億ドル(約9兆円)は、日本が肩代わりすると。だから、共和民主両党にあれだけ反対されていた法案が、米議会であっさりと通ったわけだ。あの9兆円のほとんどは、軍産複合体に流れるだろう。それでウクライナの敗戦を11月米大統領選後にまで引き伸ばす。
バイデン当選という利益は、米国国益や日本国益を凌駕する。その9兆円で買ったもう1つのギフトは、ロシアの対日復讐。習近平は中国の国益のために戦っている。日本の政治家は?山口さんが嘘をついていると思えない。岸田・自民党政権は、売国奴だということに反論するなら、政府が堂々と出てきて、山口さんと議論してほしい。岸田政権の所為はもはや、無恥の境地であり、まさに日本の内敵だ。それでも、自民党に票を入れる、それでも、政治に興味を持たない日本人が地獄に陥るのは、自業自得。同情に値しない。
山口さんは怒っている。私は怒らない。むしろそういうことがあって当たり前。日本には「凡庸の悪」が氾濫しているからだ。ただでさえ貧しい日本だが、日本国民の血税9兆円もアメリカに献上するとは、さぞかし信じられない。日本は民主主義国家であり、クズ政治家はクズ国民から選ばれるのだから、自業自得だ。

● 「符号」に脊髄反射
「符号」は重要だ。
着ている服、食べている食事、飲んでいる酒、使っている物、住んでいる家、乗っている車・飛行機のクラス、付き合っている人などなど、すべてがその人の経済力や社会的地位を現す符号になる。人間はつねに自分の所属するグループ(層)を自己確認し、他人に示すのである。ここまでは非常に単純明快。服や食事や酒やバックや家や車といった物のランクも、有名人や有力者といった人のランクも、つまり「符号」の意味は、一目瞭然だ。
しかし、イデオロギーのレベルとなると、怪しくなる。左右、リベラルや保守にまつわる「符号」がある。たとえば、保守なら、「親米」「反中」「反露」「反共」「反マルクス主義」「日台友好」から「安倍」「自民党」まで、これらの符号の意味を掘り下げてみると、怪しくなるのだ。
例えば、米国の政策が日本に有害だったり、中国の挙動が日本に有利だったりする場合は、「反米」「親中」のほうが日本の国益に合致する。「日台友好」はいいが、台湾戦争になって日本人は台湾のために流血し、命を捧げてもいいのか、これも怪しい。さらに「マルクス主義」が悪だというなら、マルクス主義とは何か、どこが悪いか、学べるところはないか、と聞きたくなる。
少々意地悪かもしれないが、さらに聞く。そもそも「保守」とは何か、「符号」は常に「保守」の本義にマッチしているか、マッチしない場合どうするべきか、などだ。これらの質問に答えられない人たちは、要するに頭を使っていない、使えない、「保守」という言葉すら理解せず、単なる「符号」に脊髄反射するだけの無脳層である。
先日、気がついたら、産経新聞の某編集委員、元支局長から、フェイスブックでブロックされた。2010年から10年間、7回にわたり、私に対して取材してきた方だった。ここ4年間、私の政治的立場のいわゆる「変節」に起因するものであれば、理解できる。彼は、ジャーナリストでありながら、サラリーマンでもあるから、社の編集方針に従う必要があろう。もちろん、私と論理的に議論することができないのも、ブロックする理由の1つだろう。
私は、「日本の国益」という点では、変節も何もない。いつでも反論に応じ、議論する用意がある。無理だろう。産経新聞そのものも一種の「符号」である。
● 日本に報道の自由がない?
フランスの非政府組織(NGO)の国境なき記者団が毎年発表している「報道の自由度ランキング」で、日本が「70位」になった。69位のコンゴ共和国以下!マスコミを萎縮させる原因とは何だろうか。日本ではジャーナリストの殺害もなければ、逮捕・拘禁されることもない。せいぜい尾行されてスキャンダルがあれば、週刊誌にリークされるというような「嫌がらせ」がある程度だ。問題はメディアの「自己検閲」にある。
メディアやジャーナリストが保身や同調圧力、商業主義や権力への迎合という自己都合で、報道すべきことを報道していない、という「報道しない自由」を濫用しているからだ。国境なき記者団が、これを言論弾圧と同じくらい問題視しているのは、まったくその通りだ。
その根源は、「競争」の消滅にある。日本だけでなく、米国・西側メディアにも同じ傾向がみられる。例えば、中国関係の報道になると、ほぼ批判一色だ。中国が何をやっても悪い。日米・西側の問題や失敗は、みんな中国のせいだと。なぜなら、中国の台頭があって、中国との競争に勝つことがだんだん難しくなり、あるいはすでに負け始めたからだ。
競争には2通りのやり方がある。「自己強化」と「相手弱化」。今の日米・西側の対中競争は、後者。相手を弱化するには、経済的制裁(半導体禁輸など)と世論的制裁(プロパガンダ)という2形態がある。対中報道の姿勢はまさに後者である。プロパガンダはさらに2形態に分かれる――。相手の悪口を言うのと、相手の良いことを言わないこと。今は両方をやっている。
しかし、「相手弱化」、相手の足を引っ張る者には、勝ち目がない。相手弱化を仕掛けたところ、逆に相手の自己強化につながるだけ。経済的制裁によって、中国の独自開発・技術自立(半導体等)を加速させているだけ。世論的制裁は、中国の反論を誘発し、その反論で、日米・西側の自己矛盾を暴き出すものがどんどん増えている。そこで、さらに中国の反論を封じる必要があって、「報道しない自由」を動員すると、まさに悪循環だ。
今の日米・西側社会は、非常に醜い裸の王様だ。情報規制で、大方の人(情弱)が気づいていないだけ。まして、中国との競争を堂々と受け入れて、自己強化する勇気も力量も、日米・西側にはない。
● 正義の強盗殺人
欧州連合(EU)加盟国は5月8日、凍結したロシア資産の利子を武器の調達などウクライナ支援に使うことで合意した。EUのドムブロフスキス上級副委員長は「ロシアは罪を直接償うことになる」と言い放った。
泥棒よりも強盗だ。たとえ犯罪人であっても、その私有財産は法に守られている。被害者に対する民事賠償は裁判所の判決によってはじめて可能になる。しかし、西側諸国はなぜ自分を正義の代弁者とし、独自の判断でロシアの「罪」を認定できるのか。不思議で仕方ない。
もっとひどいのもある。ハマスは確かにイスラエルの民間人を800人殺した。その代わりにイスラエルは、パレスチナの女性と子供を2万6000人も殺した(2024年5月現在)。倍返しというが、32倍返しとは、殺人魔だ。ナチスの2代目と言われても仕方ない。大量殺戮の手口を誰よりも知っている国は、恐ろしい。しかし、イスラエルは公然と「正義」を自称している。
アングロサクソン白人の出自は、強盗と殺人(土地略奪と先住民虐殺)だった。ユダヤ人は被害者の歴史をいつまでも免罪符として担ぎ、宗教や道徳のオーラの下で平然と加害者になっている。第三者として見ていても、納得するわけにはいかない。
● シンガポールの強かさ
5月15日にシンガポール首相に就任するローレンス・ウォン氏は5月6日にエコノミスト誌の取材に応じた。世界の地政学的な情勢についてウォン氏は、「米国一極集中」が終わり、世界が多極化する中で、「数年間は混乱した」状況が続く可能性があると述べた。米中という2つの超大国が対立する中、シンガポールは親中でも親米でもないという最近の発言について問われ、彼は「我々は親シンガポールだ」と答えた。
親中でも親米でもないというシンガポールのスタンスは従来通りで、そこまで言えば十分なはずだが、ウォン氏はあえて、「米国一極時代の終焉」を明言し、米国をチクッと刺した。そこはシンガポール人の強かさである。「親中でも親米でもない」という結論を裏付ける理由をはっきり示しておけば、今後米国は何も言えなくなるからだ。日本人には理解できないだろう。
シンガポール人が羨ましい。優秀な指導者に恵まれてきた独裁権威国家シンガポールは、腐り切った民主主義の日本より、数倍良い。民主主義国家の政治家の視野は、「任期」と「次の選挙」、数か月からせいぜい4~5年。しかし独裁国家の指導者は、自分の死後まで考え、数十年か百年スパンだ。そこが違う。
そうした意味で私は、反民主主義だ。一応、言論の自由が保障される民主主義体制の下であっても、反民主主義を公然と言えるのは、ほんの一握り。私はその1人だ。民主主義が反論を許さない唯一だと思った時点で、それは既に独裁ではないか。民主主義が絶対善と思った時点で、それは既に懐疑を失い非論理的ではないか。世界人口の7割が非民主主義体制国家である以上、民主主義の多数決原則に則っていれば、民主主義は既にアウトではないか。




