「ド正論」を呼吸のように吐く人たち、地獄はもうそこまで来ている

 民主や自由、平等、人権、正義、平和、進歩、希望、夢、ビジョン…。

 正論、しかもほとんど誰もが反論できないような「ド正論」を、息を吸って吐くように喋る輩は、もっとも要注意、警戒したほうがいい。ろくな奴はいないはずだ。上は政治家や学者、評論家、ジャーナリストから、下は公務員や企業のビジネスマン、学校の学生まで、左右や上下に関係なく、この世に多数生息している。

 タイプその1、単なる無知・無学・無能である。情弱だったり、問題意識をもたなかったり、事物を抽象・分析できなかったり、特に、実務の問題解決力がなかったりする者は、「正論」を吐き続ける傾向がよく見られる。なかに出世する人も珍しくない。

 誰もが反論できないから、彼・彼女たちの無知・無学・無能ぶりはそれで隠し通せる。まことに都合がいい。しかも自己美化でき、いかにも正義の代弁者であるかのような存在を世間に誇示できるからだ。このような人たちが正論をどんなに語り続けても、現実世界の問題は1つも解決できない。

 もちろん、このタイプのなかに善良・無垢な心の持ち主も大勢いる。洗脳されたステレオタイプだったり、性善説論者だったり、ひたすら世界平和や美しいビジョンの実現を願い、信じ込む善人だったりする。付け加えると、善と愚は矛盾せず、見事に共存できるからだ。

 タイプその2、知的な有能者で利益目当てである。彼・彼女の多くは、問題の解決でなく、問題の存在を商売とする人たちだ。故に、問題の解決を回避するために、問題を顕在化させないことが必要だ。そのために彼・彼女たちは、とにかく「正論」を唱え続け、ひたすら問題を隠蔽し、問題を先送りし、問題を増大させ、新たな問題を作り出したりもする。

 民主主義という制度は、タイプ1とタイプ2を結合させてしまったので、たちが悪い。「正論」には疑いを許さないからだ。ポリコレは独裁専制と民主主義の共通項になったのである。「正論」に反対どころか、懐疑を呈しただけでもたちまち「反民主主義」「反〇〇〇」「差別者」などのレッテルを張られてしまう。文化大革命の再来にほかならない。

 日本は無原則の米国追随により、すでに共産主義2.0に向けて狂奔しているように思える。マルクスも真っ青だ。

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