<前回>
(敬称略)
旅先がスペインから北朝鮮に変わった。それを知った妻の顔がこわばっていた。二文字が見え隠れする、―「拉致」!
97年当時、我が家ではインターネットを導入して1年も経っていない。当時は、インターネットがまだ普及していなかった。いくら検索しても、北朝鮮旅行の情報が見当たらない。大丈夫か?妻が困った末に、北京市内にある大手日系クレジットカードの顧客サービスプラザに駆け込む。「うちの馬鹿旦那が北朝鮮旅行を申し込みましたが、本当に大丈夫なのでしょうか?」と聞くと、担当者の日本人がニコニコして大丈夫だと答えたらしい。そのカード会社も平壌の友誼商店と取引があり、日本人担当者も平壌出張していたという。
それでも心配していた妻は日本人駐在員の仲間に、所定日程経過しても中国に戻らない場合日本領事館に通報するよう頼んだらしい。呆れるほど神経質だった。
いよいよ、平壌へ飛ぶ日がやってきた。
北京首都空港の一角に目立たない高麗航空のカウンターがある。そこで日本国旅券と旅行許可証を差し出す。日朝間に国交がないため、日本国旅券にビザも出入国スタンプも押されない。われわれが入手したのは、「朝鮮民主主義人民共和国入国許可証」という小冊子だった。
晴れ渡った大空に向けて、北朝鮮の翼、高麗航空の航空機が北京空港を飛び立った。
ボーイングやエアバス機に慣れた人間にとって、高麗航空の旧ソ連製イリューシン機は何ともいえないレトロに感じた。機内の会話がほとんど聞こえないほどエンジン音が大きい。飛行時間わずか2時間弱、高麗航空機が朝鮮民主主義人民共和国平壌市順安(スンアン)国際空港に着陸。国際空港といっても規模はせいぜい稚内や女満別あたりのローカル空港程度。滑走路上から、ターミナルビルに掲げられている偉大なる領袖金日成将軍の巨大写真が見えると、北の地にやってきたなあと実感が湧く。
「立花さん、わが共和国へようこそ!」、私と妻を迎えてくれたのは、北朝鮮国際旅行社の許と徐という二人の男性ガイドだった。駐車場に待機していたバンに案内されると、すぐに車が市内に向けて走り出す。北朝鮮滞在中は、ガイド二人と常に行動が一緒だった。
「立花さん、パスポートを預かります」、車内でいきなりの要求。
「えっ?どうして?」、私も妻もパスポートだけは渡したくなかった。
「ビザを取ってきますから」、ガイドが微笑む。
「ビザなら北京で取りましたよ」、私が説明する。
「北京で取ったのは入国ビザですよ、これから出国ビザを取りますから」、ガイドが相変わらずニコニコ。
「出国にもビザ?取らなかったら?」、私が馬鹿な質問をする。
「北朝鮮から出られませんよ」、ガイドが引き続き微笑む。
「えっ???」
私が手を震わせながら、二冊のパスポートを差し出す・・・