五輪の陰、努力報われぬ人たち

 五輪、結果と勝者が讃えられ、庶民に夢と感動を与える。敗者といっても、期待外れの有望選手だけ、惜敗を残念がられ、「力を尽くした」とそれも賛美される。

 大多数の名も知られない選手は、どんな涙ぐましい努力を積んできたとしても、ハイライトを当てられることはない。いや、メダルがすべてではない。参加にこそ意義がある。

 いやいや、参加すらできない人もいる。もっともっとたくさんいる。壮絶な努力をいくらしても五輪に無縁だった人たち。参加しなくても意義があると声をかけてもらえるのだろうか。

 意義とは何だろう。他者から与えられるものなら、メダルの数、せいぜい五輪参加者の数が限界であろう。意義は自分が規定し、与えるものなら、無限に広がる。世の中一般に通じる原理ではないだろうか。

 努力は必ず報われる。これは嘘でもあり本当でもある。自分の定義次第だ。

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