自殺を選ぶ日本人の心

 日本人は、自殺狂かと思われるほど、自殺率が高い。先進主要国では最も高くなっている。日本総領事館筋の情報では現在上海での日本人自殺者数は、年間二桁に上っていると言う話を聞いた覚えがある。

24933_2メンタル有病率と自殺率の国際比較(WHO国際疫学研究・「日経ビジネス」ソース)

 添付の図表は、「日経ビジネス」が公表した過去12か月間に100人中精神的な疾患を発症した人の数を示す「メンタルヘルス有病者率」(%)と自殺率(対10万人当たり)を国ごとに示したものだ。米国は、メンタルヘルス有病者割合が日本の3倍にもなっているが、自殺率は日本の半分以下しかない。

 常識的に考えると、米国は日本よりもはるか競争が厳しく、ドライな国柄であるかのように思えるのだが、なぜか自殺率は日本と比較すると高くないのか。それは、錯綜多様な要素が絡んでいて、そう簡単に結論付けできないが、私は、一つの角度から見つめてみたいと思う。

 一人の人間が自殺したとしよう。すると、回りの人は、きっと、「ああ、不幸だったな」というだろう。でも、視点を変えてみよう。自殺した人間にとっては、死ぬことが幸福だったのだ。理由は簡単だ。その人にとって、「生きること」よりも、「死ぬこと」が幸福だと判断したから、自殺したに違いない。

 「生きることが幸せ」という常識と「死ぬことが幸せ」という非常識が逆転したとき、しかも、それがある種深刻な問題になってくると、社会の病みとしか言いようがない。では、サバイバルゲームが日本よりはるかに激しい米国だが、その自殺率が日本の半分以下しかないという統計データはどう解釈するか。

 そこで、私が作った言葉の登場だ、―「予期幸福度」。

 日本人は、「予期幸福度」が米国より高く、現実の「体験幸福度」とのギャップで大きなショックを受け、最終的に「生きる幸せ」よりも、「死ぬ幸せ」を選ぶ傾向を増幅させたと、私はこう認識している。

 「そんなはずじゃなかった」が、自殺のエンジンになっている。

 米国がサバイバルゲームの厳しい国だ。米国人なら誰もが知っている。学校では、「サバイバルのスキル」を幼い頃から教え込まれ、社会から来るストレスへの抗体を植えつけられている。だが、日本は違う。戦後から80年代後半ないし90年代前半までは、がんばれば誰もが豊かに暮らせる国だという「幸福がやってくる神話」に陶酔してきた。それが日本人の「予期幸福度」なのだ。しかし、神話が見事に打ち砕かれた。そのショックが大きい。

 日本は、過去比較ベースで考えれば、間違いなく「不幸せな国」に向かっている。貧富の格差がどんどん広がるだろう。戦後の繁栄、全国民幸福の神話はそのうちもう一度やってくることに期待をかけるか、それとも、「不幸せ」への準備をはじめるか、それは、一人ひとりの日本人が自分で判断することだ。

 日本人には、二つの道しか残されていない。

 一つ、体験幸福度を引き上げる。
 一つ、予期幸福度を引き下げる。

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