不起訴?無罪?検事が引っ込むか?

 読者投書がありました。
 
 覚せい剤所持で逮捕・送検された酒井法子容疑者が不起訴処分になる可能性もあると、各紙が報じて、波紋を呼んでいる。それは、納得できない。社会的正義でいえば、私は同じ気持ちです。読者からは、「日本の法律って、一体どうなってるの?」と言っているので、その辺冷静に法律を見つめてみようと思います。

 法律は、大きく分けると、「実体法」と「手続法」という2種類の法律があります(ほかにも色々分け方がありますが)。

 犯罪といえば、皆さんが直ぐに思いつく「刑法」は、実体法になります。で、容疑者を送検するか、起訴するか、そしてどう裁くか、そこで「刑事訴訟法」という「手続法」があります。意外にも、この「刑訴法」の意義が非常に大きいのです。

 「有罪か無罪を争う以前に、手続で勝負する」、やり手の弁護士はよくこの手を使います。

 「裁判は、証拠で勝負する」、「証拠を制するものは裁判を制す」、法律業界でよく言います。

 さらに、この手続法の刑訴法には、「証拠裁判主義」と言う原則があります。日本の刑訴法317条は、「事実の認定は、証拠による」と明記しています。そう、もう一つ、「疑わしきは罰せず」原則もあります。疑わしきは被告人の利益にするということです。有罪の判断をするためには合理的な疑いを超える証明が必要です。

 上記諸々は、刑事裁判の場で、しばしば被告人の弁護人に活用されます。すると、被告人に有利な方向へ展開したりします。そこで、検事が必死で戦うわけですね。事前に、証拠が弱いということを知れば、いっそう起訴をやめてしまう・・・こんなことも少なくない。

 酒井法子容疑者についている弁護士の正体は、分かりません。そして、酒井容疑者の「逃亡」活動にどのような人物が係わっているかも分かりません。それから、そもそも親族の出した「捜索願」の真意は?一連の行動、「性悪説」で推測すると、完璧な「逃避行」と言う可能性も否定できないでしょう。専門家の画策や指導があるのかもしれませんが・・・すべてはあくまでも推測の話です。

 しかし、裁判の場になると、「証拠」がものをいう。所持がごく微量で、尿検査が「シロ」、家宅捜査で出てきた吸引器具などがあっても、何時使ったのか、どのくらいの量を使ったのか・・・いずれも物証が極めて弱い。

 そこで、裁判の場で戦えるかどうか検事が最終判断するでしょう。現段階では、捜査の進展を見るしかない。新たな有力な証拠が出てくるかどうかです・・・。