トン、トン、トン、トン・・・木造の階段と廊下に響く足音が実に心地よい。
今回、私が利用したのは、「ジオグラフィー(地理)」という部屋だ。ホテルの2階にあって、古い木造の階段と廊下を通り、トントンと自分の足音を確認しながら、ボーイに案内される。
部屋に入ると、一瞬、私が言葉を失った。
高天井に古い梁が露出され、曇りガラスの古い天窓から優しく光が差し込んでくる。古い木のフローリング、天井から吊るされている古い羽根シーリングファン、木枠の古い窓と雨戸・・・
古き時代へのタイムスリップに陶酔する。
中国で暮らしている私は、新しいものに包囲されている。街はどんどん変貌し、新しい箱ものがどんどん建てられ、コンクリートジャングルに閉じ込められていると、息苦しくなる。すると、古き良き時代への思いが今かつてないほど強くなり、古いものへの欲求に駆り立てられる。
私は、古いものへの愛着が半端ではない。一種異常な状況にまで発展しているのかもしれない。新しいものは、いくらでも作り出すことができるが、古いものは一旦失ってしまえば、二度と同じものはもう世の中には存在しえない。
大きな窓を全開すると、眼下に古い街並みが広がる。色褪せた瓦屋根の家々の遠くには、イスラムの人々のモスク(礼拝堂)の白い壁が眩しい。一匹の猫が屋根の上を悠々と散歩しながら、こちらへちらちらと目線を向ける。
夕方の潮風が優しく部屋の中に吹き込んでも、立ち篭った蒸し暑さは消える気配がない。シャワーを浴びても、しばらくすると汗がじわじわと滲む。もう一回シャワーを浴びようと、栓をひねれば、ガックンガックンと空振りしながら、熱いお湯が一向降って来ない・・・
1泊240ドルもする部屋は決して快適ではない。同じ料金を払えば、ヒルトンあたりのデラックスルームで、ガンガン効く冷房と熱々のシャワーで快適に過ごせたのに。しかし、私にとっては、お金で買えないものがある。それが何だ。心の平穏を取り戻したというか、拠り所を見付けたというか、自分もよく表現できない。
一輪明月がプルメリアの木を上りきった時、小さな古いホテルの中庭では夕食の用意が出来た。今年最後の夕食は、控えめながらも少し贅沢にしようと、ロブスターをお願いした。薄暗い蝋燭の光は、次第に満月の明るさに圧倒され、ワイングラスも空けられたとき、静寂が一段と深まる。
2009年よ、さよなら。
そして、古き街並みの静寂の中、密かに、2010年が到来した。