スリランカ日記(12)~ゴールの街で考える中国の「改革開放」

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 2010年1月1日、スリランカ南部の古い港町ゴールで過ごした。

 世界遺産、ゴールの旧市街を散策したが、まるで、時間も歴史も止まったような街だ。中国の各地方は、世界遺産の登録に一生懸命だ。世界遺産を登録すれば、観光客が殺到する。地元の経済に貢献できる。地方政府はそう考えている。

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31816b_1砦から望むゴールの古い街並み

 私は、中国の世界遺産を訪れようとは思わない。その世界遺産が悪いのではなく、環境が悪すぎるからだ。高価な入場料を払わされる代わりに、いざ入場してみると、観光客がぞろぞろ、所かまわず大声で叫んではパチパチ記念写真のフラッシュの嵐、つばを吐く人、子どもを排泄させる親・・・観光客だけではない。土産ビジネスも凄まじい。静かに景色や建物を眺めて遠い歴史に思いを馳せようとしたとき、しつこい客引きの邪魔で、すべて台無しになる。

 中国では、世界遺産はメイク・マネーのツールにされている。しかし、ここゴールは、まったく商売っ気がない。スリランカ人が世界遺産をとても大事にしているというよりも、商売熱心ではないからだ。

 「スリランカには、高速道路がないが、いずれ作るでしょう」と私が言うと、「いや、必要はないでしょう。この(一般)道路は十分良いです」と、運転手のピアンテさんから素気ない返事が返ってくる。

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31816b_2ゴールの市場、日本の中古車が大活躍中

 現状維持。GDPよりも、高層ビルよりも、ハイウェイよりも、平和さえあればよい。これは多くのスリランカ人の幸福観である。

 「幸福学」の観点から、中国のGDP追求には批判的な姿勢を取らざるを得ない。そもそも、GDPは何のためのものか、国民の幸せのためというのなら、では、8%のGDP成長は国民の平均幸福度も8%向上することを意味するのか。中国国民は年々8%も幸せになってきているのか。

 最近の中国の新聞を見ると、GDP追求への批判が目立つようになった。いよいよ、中国人も真の幸福を求める時代が到来すると私が予感してやまない。

 中国は経済成長に伴い、多くの文化財を自らの手によって破壊してきた。富士通総研経済研究所主席研究員・柯隆氏(中国南京市生まれ)の論文「破壊されていく私のふるさと~古い街並みが根こそぎ消えていく、まるで第二の文化大革命」の一部を抜粋引用する。

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31816b_3ゴールの旧市街地

 「オーストリアの経済学者、ヨーゼフ・シュンペーターは『創造的破壊』という表現でイノベーション理論を提唱した。これまでの30年にわたる中国の『改革開放』政策は、まさに創造的破壊であった。だが、それは国民生活を豊かにする半面、街の伝統的な文化財などを破壊する『第二の文化大革命』と化している」

 「40年前の文化大革命の主役が『紅衛兵』だったとすれば、今回の『文化大革命』の主役は地方政府とデベロッパーである。現在、歴史のある都市に行くと、市街地の至るところの壁に『拆』(取り壊す)という文字が書かれている。これは40年前の文化大革命の壁新聞に書かれた『打倒』という2文字と同意語である。地方政府はその業績を誇示するために、できるだけ高層ビルを建てようとする。一方、デベロッパーは利益を追求するために、省の知事や市長の虚栄心と結託して、古い文化が凝縮する古い街を根こそぎに壊してしまう。彼らが建設しようとしているのは中国的な都市ではない。まるで摩天楼が林立する第二のニューヨーク、または第二のシカゴのようだ。悲惨な歴史が繰り返されている」

 柯氏の痛烈な批判は、彼が中国人として中国文化への深い愛情から発せられたものと思う。同論文には、以下のエピソードも紹介されていた。

 65年前に米軍が日本を空爆しようとした際、中国を代表する建築家の梁思成が、重慶にある米軍司令部に赴いた(梁思成の父は、清の末期に清王朝打倒の革命を起こし、日本に亡命したことのある梁啓超)。梁思成は米軍司令官に、「日本を空爆するのは支持するが、京都と奈良だけは空爆しないでほしい。京都と奈良は日本の財産だけでなく人類の財産でもある」と進言した。司令官はその進言を聞き入れ、京都と奈良の空爆を取りやめたという話がある。

31816_4ゴールの旧市街地に立つ世界最高級アマンリゾートのAmangalla
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 私が中国各地へ出張しているが、ビジネスが終わればさっさと引き上げることにしている。めったに街をぶらぶらしない。建設現場と化した中国の各主要都市は、表情を失った、標準化された乾燥無味な街並みに変身してしまっているからだ。

 経済建設を否定しているわけではない。GDPの成長も大切だろう。しかし、それはイコール「破壊」ではない。古いものを壊して新しいものを作るという風潮が中国で普遍的だが、私は違うと思う。古いものの価値を引き出して、文化産業として育て上げることこそ、環境破壊に無縁なGDPを生み出す唯一の道なのだ。中国には、箱もののGDPよりも、中華文化のルネッサンスを必要としているのだ。

 昼下がりのゴールの街は、静かである。ひさしのあるテラスは、道路と建物内部をつなぐ媒介になっている。そして、建物に目を凝らすと、壁や柱、そして手摺の一部に精巧な彫刻が施されていることが分かる。ディテールを吟味することは、大学で建築を学んだ私にとってそれ以上ない愉悦である。テラスに面した窓はステンドグラスや飾り模様で、趣向を凝らし、それぞれの家の伝承や風格を伝えるメッセージとなり、旅人の心を捉えて離さない。

 ゴールは、輝いた植民地時代があった。古き良き時代への追憶や未練に伴う哀愁を漂わせることなく、むしろ時間が止まったかのように、旅人のイマジネーションに多くの余地を残し、瞬間的でとても鮮やかなインスピレーションを与えてくれたものであった。

 遠い夢を胸にしまいこみ、古き街ゴールで最後の静寂な夜を迎える。

<次回>