私はどんな犬ですか?

 私が飼っている愛犬ゴン太君は、もうすぐ1歳半になる。すっかり家族の一員になったゴン太とは、いろいろな会話をして、私、犬から見た人間はどんなものかと好奇心をもつようになった。

34012_21歳半になるゴン太君(2010年2月27日、自宅にて)

 ネットで資料を調べてみると、以下のように書かれている。

 「犬が人間を『頭が3つある生き物』さらに『大きな一つの口と目鼻のある頭部と長い首の先に鋭くない牙のある頭部を2つ持つ生き物』と見なしている。たとえば犬による咬傷事故の被害部位は、腕が一位を占める。これは犬が人間の手を犬の頭部的なものと認識し、犬にとって急所である首を咬むつもりで、腕に咬み付いているからかも知れない」

 なるほど、人間は、三首の化け物として犬の目に映るのだ。さらに、

 「犬が手を舐める行為は、下位の犬が上位の犬に対してとるマズルを舐める挨拶行動に相当し、人間が手で犬を撫でる行為は、母犬が子犬を舐める行為に相当する。犬は子犬時代の社会化によって、人間的な常識からすれば『化け物』に見えるような人間ですら同族と見なせる柔軟な認識体系を持つ生き物なのである。ポイントは、犬は人間を三つの首がある犬、逆らうのが困難なスーパードッグとみなしているかも知れないという点である」

 つまり、犬にとって、「人間」という生物の存在を知らない。あくまでも、人間も犬の一種と認識しているのだ。

 この犬の目線からいくと、人間がもつ「人間に服従する犬」という既成概念が打ち破られ、「上位犬に服従する下位犬」ということになる。同族の上位下位の命令服従系統は、自然界では普遍であり、逆に人間と犬という異族間の命令服従関係が不自然に見えてくる。とすれば、「忠犬ハチ公」もただ人間が作り上げた、犬の忠誠心を讃える自己陶酔物語になる。しかし、人間にとって、この種の自己陶酔物語は必要であり、人間は犬にないロマンを求める動物である。ここで、人間と犬のそれぞれの本能と需要が合致し、「犬が人間の友である」という図式が成立する。

 さて、私は、ゴン太君の目から、どんな「犬」に見られているのだろうか。