雑感雑談、尖閣諸島喧嘩と日中関係

 尖閣諸島問題で、日中関係がピリピリしている。

 メディアに煽がれ、ピリピリする日本企業も日本人もいるが、長いスパンで見れば、たいした心配は要らないと思う。2005年の反日デモを思い起こせば、あれだけひどいことになって、もう中国はダメかというムードさえ漂った。あのときの新聞やテレビの報道をデータベースから引っ張り出せば、分かることだ。しかし、いつの間にか、「反日デモ」なんて死語になったのではないか。

 私はメディア出身で、一応メディアのメカニズムは多少分かっているつもりだ。メディアは空気だ。ないとダメ。けれど過信してもダメ。空気のなかでも埃がたくさん入っている。だから、マスクをつけて濾過する。

 報道の信憑性はともかく。同じファクト(事実)でも、記者の感情が少しでも入ると、まったく違う表現になったりする。大きく取り上げるか、小さく取り上げるか、同じ誌面に1個の記事にするか、2個の記事にするか、あるいはコメントや社説を付けようかで、雰囲気ががらりと変わる。

 日本人はメディア過信のきらいがある。メディアの権威性をときどき疑ってみようという努力をすべきだろう。

 尖閣諸島の問題で、日中は喧嘩している。まあ、一応仲がまだ最悪ではないから喧嘩しているわけで、そのうちは静まるだろう。

 日中の架け橋になりたい人がたくさんいる。まだまだ日中間に隔たりがあることを示唆している。日中友好が叫ばれている場面もたくさんある。これはまだそれほど仲良しではない証だ。長い目で見て、日本と中国は、物凄く仲良くなることもなければ、極端に仲悪くなることもないだろう。

 これは大きな流れだ。前にも言ったように、少なくとも私は日中の架け橋になる力もなければ、そのつもりもない。どちらかというと、渡し舟になれば良いと思っている。

 「架け橋だろうと、渡し舟だろうと、対岸に着けば良い道具だ」

 だれかお偉いさんの理論のコピーだが、経済性に優れていると自画自賛している。洪水や台風、地震で、橋が崩れても、船は波止場に係留していれば、安全だ。災害が収まれば、またすぐに出動できる。橋の再建は、時間もコストもかかる。