富の偏在は企業と資本家が元凶か、生き残る組織と個人の在り方は

 某日系企業のトップA氏からいただいたメールの一部を紹介する。深い洞察力と気鋭の論点が皆さんにもヒントを与えることを期待する。

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 出る出ると言ってなかなか出ない賃金法も、富の偏在を企業と資本家が、その元凶のように偽して、所得の再分配の責任を負わせることをひとつの目的にしているように思えます。

 この国の富は、弱者の切り捨てと国家資産の簒奪で肥え太った国有企業と地方政府と結託した開発シンジケート、そしてその背後に存在する利権者に偏在しています。この国の経済成長のジェネレターであった、外資と民間企業は、過去のある時期はそれなりに利益を得たのですが、2009年以降は、疲弊しています。

 これは事実でしょう。

 しかし、学問も常に政治です。その時代に必要とされていることが、主流となります。今のこの国は、安定こそが第一命題なのでしょう。

 労働者の賃金を抑えて、企業の成長(利益)を優先すべきか、企業のコストが増えようが労働分配率を上げて、社会(大衆)の不満のガス抜きをして安定を保つのか?当然に安定の方が、大切です。

 一方個人のレベルでも、生き残る為には、社会の流れに乗っているだけでは、生き残れないのです。今はちょっと給与が上がったと喜んでいるその先の人員削減、リストラを見ていなければならない。

 トヨタなど日本大企業の2009年の史上最高益は、正社員を削減して、臨時雇用の増と海外移転という、コスト削減で達成されたのであって、決して、マネージメントの効率や労働効率の向上でなされたものではないと言う事実を見れば、日本も労使協調など、過去のおとぎ話であって、労働者もいつ切り捨てられるか分からない時代と自覚すべきです。

 立花さんがおっしゃるように、限られたパイ(企業の利潤)ならば、全ての労働者が、一斉に給与が上がることは無く、切り捨てられる労働者も出ることに気付くべきでしょう。

 学問、時に経済学は、すでに起こった事象を説明することはできても、1年後のことでさえ予測ができないことは、すでに実証済みです。学者は、「今こそ知ったかぶりを改めて」自己の予測能力の限界を認めて、特定の出来事を説明する周辺の研究に集中すべきです。

 その意味で、労働者寄りとか企業寄りとの線引きは、重要では無く、むしろ、継続的に生き残る組織と個人とはどうあるべきなのか?の観点が重要かと思います。

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