生の鶏、半熟の鶏、よく焼けた鶏、そして奄美人の魂

 奄美の鶏がうまい。焼鳥がうまいのがあたりまえ。何よりも、鶏刺しがうまい。鶏刺しとは鶏たたきのことで、さっと炙るだけで基本的に生の鶏である。

69228_2生の鶏-鶏刺しと鶏レバー刺し
69228b_2鶏刺し三種盛り

 いくらもてなしといってもおそらく、中国人に生の鶏料理を出したら「えっー」と言われるだろう。最近、刺身料理に慣れてきたとはいえ、本当に美味しいと思って、刺身を好んで食べる中国人はまだ少数である。刺身を食べると言っても、サーモンあたりにとどまり、範疇を広げて、なんと鶏刺しまで射程内に収めるとそうとう抵抗があるのだろう。

 「生で食べるの?」。まず、中国の食文化では、「生」が非常識である。それは中国の風土、自然、社会に大きく関わることである。まず海洋国家でない中国でいう刺身の代表格である魚は、ほとんど川魚である。河川の汚染や寄生虫などといったリスクから考えると、火を通して食べるのが当たり前。

69228_3半熟の鶏-鶏ももの開き
69228b_3奄美地鶏料理の名門「鳥しん」

 日本人はなぜ生を食べるのか?

 私が数え切れない中国人に生の刺身料理を食べさせたことがあるが、比較文化的に、日本の生食文化の根底を探求しようという姿勢を示してくれる中国人は一人や二人しかいなかった。あくまでも、中国の食文化、つまりは自分の「常識」を中心に物事を捉えているのである。

 私は日本人として日本料理を食べ、また中国人の感覚で中華料理を楽しみ、時には韓国人のマインドに切り替えキムチをつまみ、そしてスペイン人やロシア人になって、パエリアやウォッカをいただく。中国人として食べる日本料理や、日本人として食べる中華料理は、あくまでも外国の食べ物であり、その国の人間になりきった時点で、その国の美味に触れた一瞬にピリピリと感電するような刺激で、快感が全身に走るのである。

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69228b_4よく焼けた鶏-焼鳥の数々(いずれも地鶏)

 いま、奄美の地に来て、奄美人になりきることが私の一番贅沢な望みである。私が思う――。国際化たるものはない。もし、国際化と言うものが存在するのならば、それは間違いなく、究極の地場化である。

 「本土の人」「内地の人」。奄美に来てよく耳にする言葉だ。奄美の地を訪れた日本本土の人たち、いわゆる日本国内の主流文化の持ち主たち。奄美人の魂をどこまで理解できたのだろうか。私自身も、まだ百分の一も理解できていないと思う。

 中国ビジネスのみならず、海外事業の展開は、現地人の感覚を理解せずにうまくいくはずがない。「理解」とは、その地の人になりきることである。