「無何有」哲理の再確認、山代温泉を訪れて・・・

 「無何有」――。荘子には、「虚室生白」という言葉がある。

77370_1山代温泉 べにや無何有

 がらんとした部屋には、日光が射し込んで、自然に明るくなる。人間も心をからにして何ものにもとらわれずにいれば、おのずと真理、真相がわかってくるという思想。私がコンサル現場で実践している「ゼロベース思考」というのも、まさしくこの「虚室生白」に基づいている。

77370_2茶室でご主人のもてなしを受ける
77370b_2客室

 大阪・東京出張の合間を縫うように清明節連休を使って、石川県山代温泉の「べにや無何有」に2泊した。

 「無の境地」に至る心の修業は、禅の基本である。現代人は、「有」を求め、さらに「多」を求める。現代社会では、「無」と無縁の世界が価値観を牛耳る。

77370_377370b_3寛ぎのひと時、ハンモックと客室内の露天風呂

 コンサルティングという仕事の一番難しいところは、「有」を創り出す前段階である「無」を創り出すことだ。「無」を創り出すことは、既得利益への領空侵犯であって、必然的に大きな反発と反撃を受ける。コンサルタントとして、そして当事者である企業のトップとして、その難関を如何に乗り越えられるかで真価が問われる。

77370_477370b_4館内と庭

 私は自分の心の疲れを感じている。が、弱気を吐くわけではなく、言明をするだけだ。戦いはやめない。言いたいことは、余すところなく、「無」の状態に至るまですべて言う。言葉の言明は殺人武器だ。自分を傷付けることも多い。モノを言ったところで、嫌われることがしばしばある。顧客を失うこともある。現世の利益を、「無」視して「無」を創り上げることができるのが、私の誇りであって、この会社の唯一性であって、理念を共にする同志の輪を作り上げる価値の創出である。そして、小さな歴史を書いてゆく甘美な時でもある。

 疲れた心身を、「無何有」の湯が優しく癒してくれる・・・

<次回>