8月31日(金)、社内歓送迎会に合わせて、無料宿泊券を使ってフェアモント和平飯店に1泊することにした。
無料宿泊券は、ほぼ毎年カード会社から送られてくるもので、今年は「フェアモント」か「ラッフルズ」のいずれかの系列ホテルが対象だった。ニューヨークの名門ザ・プラザ(フェアモント系)やシンガポールの本家ラッフルズも魅力的だが、旅の予定がなく諦めてしまい、最終的に社内歓送迎会に合わせて、地元上海のフェアモント和平飯店にした。
私は古いものが好きだ。和平飯店は古い。100年以上の歴史を有する建築物である。創業当時から上海の華麗なる社交場として名を馳せ、特に上海の黄金時代である1930年代、世界各国の外交官や著名人がホテルの豪華スイートを上海での拠点とし、ホテルは最盛期を迎えた。このような歴史の薫りはいまでもホテル館内随所に感じられ、夢想を膨らませてくれる。
巨資を投じて改装された和平飯店、ハードウエアの部分は素晴らしい。ただ、サービスのレベルでいうと、中国のことで例に漏れず今ひとつ満足できるものではない(私個人的な感覚だが)。ちなみに、和平飯店は現在中国系のホテル運営大手錦江集団とカナダ系のフェアモントの共同運営だそうだ。
「昔、錦江集団単独管理の時代、商売がもっと繁盛でした。今度フェアモントが入って、改装したのはいいんですが、客がずいぶん減りましたよ」。案内係のベルボーイがつぶやいていた。
「なぜですかね」、私が機に乗じて問い詰める。
「高いからですよ。宿泊料が昔の数倍にもなって、こんな馬鹿高いホテルには、客が来ませんよね」・・・
この答えには少々私は驚いたが、おそらく、このベルボーイは元錦江集団所属スタッフだったのだろう。このホテルに泊まってみると、フェアモント系のスタッフと錦江系スタッフ、なんとなく姿勢で分かってしまうほどだった。
宿泊料は数倍に跳ね上がり、内装も数倍綺麗になった。そこで、サービスの質も数倍良くなったのだろうか。ベルボールの心を傷つけたくないので、会話をこの辺で打ち切った。
1994年からの数年間、私がロイター通信社の上海駐在時代によく和平飯店を使っていた。当時、「フェアモント」などにはなっておらず、まったくの民族系よりも国営系の陳腐な館だった。陳腐と形容して失礼に当たるかもしれないが、文化の薫りはプンプンしていても、若干のかび臭さが漂っていた。幸いこの手の臭みには、私はアレルギーになっていないどころか、むしろ心地よく感じていた。
当時の上海は、いまほど立派なホテルが溢れていることはなかった。よく使うホテルは、花園オークラ、ヒルトン、シャングリラ(現在リッツカールトン・ポートマン)、ウェスティン(現在シェラトン虹橋)と和平飯店くらいだった。
西洋人はなんと言っても歴史物が好きで、イギリス系のロイター通信社も宴会やパーティーなど、よく和平飯店を使っていた。現在のフェアモント和平のメインダイニング「ザ・キャセイ・ルーム」は当時、「上海バンカーズ・クラブ」の名が付いていて、金融系のエリートの集いの場だった。ロイターもそこで、顧客を招待したり、自社の忘年会をやったり、頻繁に出入りする日々が続いた。
あまり古いので、フローリングの床はぎしぎしと軋み、運がよければ階段の踊り場で優雅なワルツを踊るゴキちゃんと挨拶したりしてストーリー性満点。いろんな現代的な立派なホテルに泊まっても印象が残らないが、和平飯店だけは一生の思い出になっている。
「New」はいくらでも作れるが、「Old」は消えてしまうと二度と手に入らない。私はそんな「Old」をこよなく愛している。
和平飯店よ、ありがとう。