ライオンには貯金がない

 フェイスブックでAさん(60代男性)から以下のコメントをいただいた。

 「6月末に6年ぶりに日本へ帰国してみて、総合的に見てやはりは日本は、安全。変わっていないようでも社会インフラも着実に進化している。不況といいながら町にゴミはあふれていない。ジョブレスの人がたむろしていることもない。一般人の道徳律も健在。しかし、若い人の就業機会は確実に減っている。中国を含んだアジアはまだまだ不確実性が高い。個人がすべてをアジアへゆだねるのは危険ではないのか?日本を基盤にしてアジアで稼ぐ、資産も老後は日本、稼ぎはアジアというような分散化方針が必要と感じている」

 以下、私の見解を述べる。

 まず、価値観の面から論じよう。「安全」というものは、言ってみれば個人が主観的に判断し、評価するものだ。あるいは、特定の目線から見たものだったり、または人生の異なる段階、境遇によっても微妙に変異するものだ。もちろん、相対的なものでもある。逆に、「安全」の反面に潜む「危険」を強く感じる人もいれば、アジアの「不確実性」(安全ではない)を「機会」として捉える人もいるだろう。

 次に、経済性を考えよう。「安全」というのは、ただではないので、コストがかかっている。コストとは結果的に資源の配分であって、「安全」に多くの資源を投入すれば、他所の資源が減るわけだから、当然バランスが必要だ。いまの日本は、「安全」や「安心」に対する資源配分が過多なのか、それは民主主義社会である以上、大多数国民の意思で判断すべきだろう。

89305_2ケニア・アンボセリ(12年8月13日撮影)

 さらに、ロジックで見てみよう。Aさんがインフラの進化、街の清潔さ、人間の道徳律と言った側面から、「安全」を語っているが、これを仮説としよう。そこから推論して、「資産と老後は日本」という結論に結び付けるには、少々不自然さが残らないか。もちろん、裕福な人で数億円の資産を持っていれば、インフラが完備で成熟社会の日本で暮らしたほうが居心地がよい(よほどの冒険家ではない限り)。だとすれば、仮説の補完が必要になる。

 もう少し展開すると、インフラの進化、街の清潔さ、人間の道徳律といったポジティブ要素(安全)から、「資産も日本におこう」という結論付けの妥当性を考えよう。「資産は日本においたほうが安全か」という課題の回答には、いろんな設問ができる――。円の下落・暴落はないだろうか、日本の国債は大丈夫だろうか、日本の銀行は?・・・などなど、到底安全性の確証があるわけではない。

 さらに掘り下げると、現実問題として、日本の社会保険に関して世代によって、60代以上の既得利益確定層もいれば、収支とんとんになる50代、そしてジリ貧の40代、さらにスッカラカンになるかもしれない30代や20代。当然目に映る世界はまったく違う景色だろう。現状の年金(サラリーマン夫婦)は月20万円ほどだが、これから減ることがあっても増えることはなかろう。まあ、年金に頼らない資産家は別として、裕福といかなくとも、普通のサラリーマンが日本で普通の老後を送ることができるだろうか。

 綺麗な街、発達したインフラ、高い道徳律と老後生活の安定性・豊かさとは必ずしも必然的な因果関係にあるわけではない。それは、時間軸で動態的に考えれば、結論は明白だ。静態的には、Aさんの年代で言えば、Aさんの結論付けは正しいといえるだろう。ただ、40代や30代ないしもっと若い世代にとってみれば、異なる回答があるだろう。

 個人的に思うには、日本という国、日本人は、「安全」や「安心」を過剰評価し、「不確実性」や「リスク」を悪者扱いすぎる傾向に陥っている。戦後の経過を見ると、豊かになるにつれ、どんどんディフェンスを敷くようになった。不作為に徹していると、停滞に陥る。

89305_3ケニア・マサイマラ(12年8月15日撮影)

 人間は生まれつき、「安全」や「安心」を求める動物だ。動物だってそうである。非難できるものではない。ある意味、資産や既得利益は人間のサバイバル力を奪う元凶だ。ライオンには、貯金がない。だから毎日狩に出なければ生きていけない。ライオンの最大な資産はそのサバイバル力だ。ライオンだけではない、貯金や社会保障のないすべての動物は、「安全」を求める上で最大な武器は、その生命力だ。

 残念ながら、日本人はサバイバル力を失いつつある。石原慎太郎氏の言葉では、日本人は堕落していると。表現はどうであれ、日本人は自分のポートフォリオを再検討する必要があるだろう――。「非金融資産」欄を作って、「リスク耐性」と「サバイバル力」を資産として入れたらどうだろう。

 世の中には、「安全」がない。「生きる力」が唯一の安全保障なのだ。と私は思う。