日中友好は阿弥陀仏じゃない、人を変えるか自分を変えるか

 中国で日本企業や日本人がいじめられている、こういう話はこの頃よく耳にする。

 このような現状を悲しんでいる人、嘆いている人、怒っている人、あるいは一日も早く好転を祈っている人、ないし政府や政治家の作為を呼びかけている人、いろんな人がいる。

 とにかく状況を変えてほしいと皆考えているようだ。現状を変えるには、二つの方法がある。一つは人を変えること、もう一つは自分を変えること。

 ブログやSNSなど最近鬱憤晴らしのチャンネルが増えているので、ガス抜きには都合がいい。でもなかなか世の中は変わらない。そこで二つ見方に分けて考える。

 正義論からいくと、一人でも多くの人が奮起して声を出さないと、世の中は変わらない。だから、勇気を振り絞って大きな声を出そう。いや、大きな声でなくてもいい。最近流行の「つぶやき」でもいい。では、声を出したからといって世の中は変わるか、それは分からない。でもやらなきゃ始まらない。できるところから始めようじゃないかと。

 経済学的に、要は実利的に考えると、声を出しても世の中があまり変わらないのだったら、無駄なコストを削減しようと。声を出す時間があったらほかに実利を生むことをやったほうがいい。ここに出てくるのは、「人を変えること」か「自分を変えること」かだ。

 ある意味で、人を変えることの不確実性(できるかどうか分からない)と困難さを考えると、自分を変えたほうが早い。でも、原理原則は曲げたくない。すると、自分の変えられるところと変えられないところをまず、明確にして、変えられるところから変えていこうと。

 私は数年前からブログでも書いているが、いまでもそう思っている。日中友好なんてありえない。そもそも「日中友好」の定義なんかもあやふやじゃないか。もちろんどんな意味であれ友好はあったほうがいい。商売も儲かる。けれど、日中友好があってこその商売儲けだったら、それは一種の他力本願になる。日中友好を阿弥陀仏と思ってはいけない。お寺参りも必要だが、神頼みだけではダメ。神様仏様日中友好様では、あまりにも危なすぎる。

 ビジネスに関して、リスク管理の観点をとれば、結論は単純明快だ。日中友好だろうと、日中不友好だろうと、ちゃんと利益を出し続ける商売は強い商売だ。

 今回の反日は、パラドックス的に(逆説的に)捉えれば、日本人や日本企業にとっていい教材になったと思う。日中友好などの妄信を捨て、より逞しく、強く生きていく力を身につけていこうではないか。

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