共通のルールと価値、これを共有したときに日中友好が芽生える

 久しぶりに良いスピーチを聞いた。訪米中の安倍首相がワシントンの政策研究機関「戦略国際問題研究所(CSIS)」で行った政策スピーチ――「Japan is back(日本は戻ってきた)」

 「わが国は米国はじめ、韓国、豪州など、志を同じくする一円の民主主義各国と、いままで以上に力を合わせなくてはなりません」

 「日本はわれわれに共通のルールと価値を増進し、コモンズを守り、地域の栄えゆく国々と歩みをともにして伸びていくため、より一層の責任を負わねばなりません」

 「強い日本を、取り戻します。世界に、より一層の善をなすため、十分に強い日本を取り戻そうとしているのです」

 私が重ねて指摘してきたとおり、日中関係は経済的連帯にのみ依存しており、共通の価値観の不在が諸障害の根本的な原因になっているということだ。安倍首相のスピーチが「志を同じくする」「共通のルールと価値」を共有する国々の連帯を呼び掛けるところに、深く共感を覚える。

 日中友好はなぜ存在しないのか。「友好」とは、「友人となって初めて好かれる」ことで、「友人」となるために、まず必要なのは「価値の共有」だ。日米間でも経済的利益の相反で喧嘩はする。だが、喧嘩にはちゃんとしたルールが敷かれているのだ。そのルールはやはり共通の価値観に立脚してこそ成り立つ基盤なのである。安倍首相が言及した「コモンズ」は、まさにこの種の価値共同体を言っているのである。

 そして、世界に善をなすために、まず強い日本を取り戻さなければならない。かつて「美しい日本」を目指していた安倍氏自身も悟ったのだろう。――美しい日本になるために、まず強い日本でなければならない。